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本流対策室/2 板
890
:
さくら
:2012/04/26(木) 07:55:47 ID:tPVxKQcE
春らんまんさま
おはようございます。
「絶対なる真理にたどり着けない」、というのは、極端な言い方でした、
失礼しました。
つまりは、この世界に「絶対」なるものはない、ということが言いたかった、ということです。
先ほどの話で、ヘーゲル主義的な「絶対なる真理」「完全なる世界」を実現するための弁証法的な問題解決は、もはや、通用しなくなっている、ということが言えると思いますが、
だからといって、努力しなくて良い、ということを言いたかったのではなかったんです。
「絶対なる善」や「絶対なる正義」、「絶対なる真理」をどちらかが主張すれば、
そこに、「絶対なる悪」「絶対なる不義」「絶対なる虚説」が存在することになります。
・・が、そんなことは、現実に、ありうるでしょうか。
例えば、対立関係があるとすれば、それは、どちらかが「善」であり、「悪」である、
というより、そこには、「違い」があり、「差」があるに過ぎないのではないか、
と考えられます。
ですから、努力するとすれば、その「差」や「違い」を認めて、理解し合い、差をなくしていく方向への努力ではないかと、感じています。
例えば、トキ様が書いて下さった本流側と教団側の、和解案のように、
お互いに譲歩すべき処は譲歩し、お互いの立場や考えを理解し合うべきは理解しあう。
努力とは、どちらが「絶対正しい」ということを証明することではなく、
「違い」認めて、改善すべき点をあきらかにすべき、ということに、賛同いたします。
そして、宗教団体なのですから、「信仰を守る」観点を大切にしてほしいと、
ねがっています・・。
>つまり、”力を誇示”して、この信仰の方がいいですよ、と優位性を示した、という意味だったと思います。
また、論理的であるということが、論理の構築がないものより上等である、という錯誤(これは戦後日本へのキリスト教布教の時の絶対的な支柱でしたね?)を抱かせるということかもしれません。
ロゴス(論理)中心主義は、歴史や文化の中で構築された価値判断も含んだ、
二元論的世界観をつくるようですね、、
人間がこの世界で物事を認識する過程というのは、、「世界から二つの概念や物事の関係性を組み立てる」ことで理解ができるというのが基本の仕組みになっているそうですが、
このロゴス中心主義に陥いることになってしまうのは、
言葉を習得した人間の宿命的な部分もある、とも言える点もあるかも知れません、、
やはり、言葉がどのような働きをするのか、
言葉を大切にする生長の家も、さらに慎重に考えても良い問題とも感じます。
>神社本庁の関係者が、世界の宗教界の団体に招かれ、”日本の神道というものを教えて欲しい”と乞われ、説明に大変御苦労があった件を読みました。
もう、一神教では、世界は救えない、日本(や、一部世界の限られたエリアでは今も続いている)の多神教の宗教感によってしか、救えないという危機感からだったようです。
春らんまんさまが書いて下さったように、「日本の神道」のあり方は、
このロゴス中心主義とは、全く違うあり方ですね、
神社には、神器などが祀られていると思いますが、社の本体の中は、「空間」
だと思われますが、そうですか?
この「空」を祀るために、儀式がつづいた神道とはすごいですね・・
それは力で、絶対これが正しい真理なんだ、「絶対の信」なんだと、教えたわけでもないのに、
「何事かおはしますかを知らねども・・」のために二千年、続いた道なのですから・・
他に類のない宗教なのだと思います・。
春らんまんさまは、ご自分が考えている「日本国実相顕現」のやり方は、
日本の神道的やり方であると、お思いになりますか?
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