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本流対策室/2 板
866
:
さくら
:2012/04/25(水) 15:13:17 ID:tPVxKQcE
春らんまんさま
ご丁寧な返信ありがとうございます。
不快なんて、とんでもない、
げんに、「春風のような清らかな風」と、
男性にも評判がよろしいじゃないですか、笑。
お言葉の、真の意味を、捉えられないこと者の方が、信仰がないのです、
すみません。
>““真理への道は、唯一つ。人間は、神の子だ、ということである”
毎朝聞いた放送ですが、
ここで、“ へ の 道” が付いている事に注目しますと、
“人間は神の子だ"ということは、まだ ”真理”(に到達した状態)ではない、 ということを教えてくれます。
神の子である人間は、”神”であり、愛であり、真理である、ここに至る、過程なんだと教えてくれていると考えます。
論争(対話に於いて、真理が明らかになる)においての歴史は、プラトンにはじまるようですが、
それは、はじめに「絶対的答え=真理あり」の前提があり、
まだ到達できないのは、人間の理性が未だ曇っているだけで、今はその道程に過ぎない、必ずここにたどり着けるんだ、という前提があったようです。
これは、ヘーゲル主義の「弁証法」の発想の源泉で、
理想的な共産主義社会に到達すると前提しているマルクス的思想も広い意味でヘーゲル主義のようですね。
例えば、このプラトン哲学のモデルになったのは幾何学だったといわれているそうですが、
数学者ユークリッドが体系化して、「弁証法的思考」を続けていけば、あらゆる問題の「真理」を発見でき、現象はすべて合理的に説明できる、と二千年もの間信じられていたそうです。
けれど、十九世紀半ばになると、非ユークリッド幾何学が登場します、そして、物理学においては相対性理論が生まれますが、
そこから、「絶対的自明の理」とされてきた前提が置き換えられてしまいます。世界の見方がかわってしまったと思います。
ゲーデルの不完全性定理などは、言ってみれば、数学的に完全な証明はない、という証明みたいですね、
(なんでそうなるかとか、全然、知りません、文系なんで、笑。)
数学の世界でさえそうなのですから、人間の意識が複雑に反映される社会は、なおさら、
「絶対的真理の実現」の不確かさ、「絶対的真理が証明」はありうるか、ということは、もうすでに、覆されてしまってるようですね、
言語学において、ソシュールがすごいところも、こんなとこにもあるみたいですよね、
客観的秩序があってそれを語っていた、と思っていた世界が、
実は、言葉が秩序をつくっている、しかも、その言葉にしろ、客観的に存在するわけでなく、使う主体に影響されている、つまり、この世界の客観的真理の証明は、言語によっても、無理だということですね、(たぶんもっと複雑なことですが、だいたいで、笑)
言語については、人間のつくっているのは言葉の世界ですから、
人間に対する言葉の影響というのは、深い問題があることと思いますよね、、
生長の家でも、「言葉の創化力」の運動ですから、無関心ではいられないのではないか、と感じました。
だから、真理への・・の「〜への」、は、たしかに、いまだ、到達できない人間の真理への道、その通りだとおもいました。
人間は、「絶対なる真理に到達できない」、たしかに、春らんまんさまの言うとおりで、そういうことを見抜かれるのは、さすがだなと、思いました。
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