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本流対策室/2 板
767
:
初心者
:2012/04/23(月) 21:03:12 ID:TfQ0e6RA
さくら様
ご存じだとは思いますが、ほんらい意味を持たないはずの言葉に意味を
あたえているのは「差延」である可能性がもっとも高いといえます。
はたして差延とは何なのでしょう。ある本では、差延について、つぎの
ごとく説かれています。
○想像上の概念や意味がシニフィアンによって繰り延べられること。
シニフィアンは想像上の意味や概念にとって代わり、概念や意味を
接近が不可能な領域に追いやる。これがただひとつの(だがつねに
非実体的な)意味の「起源」。
差延によって、意味の決定はつねに先送りされます。言葉には本来的に
意味などありませんので、そもそも意味の決定じたいが不可能なのです。
そのために、意味の決定を不問に付して先送りする必要が出てまいります。
「西洋合理主義」という言葉を最近よく使っておりますが、じつはこの言葉の
意味をわたくしは決定することができないのです。無理に決定しようとすれば、
その場で行き詰まってしまい、何も語れなくなってしまいます。
それでは困るので、行き詰まりを回避する必要が出てまいります。とりあえずは
決定を不問に付すしかありません。しかし、不問に付しただけでは、話が先に進み
ません。ここはひとつ、素知らぬふうで次の言葉へと進んでみることにいたしましょう。
必要とあらば、「西洋合理主義は唯物論だ」といったように、「唯物論」という
言葉を付け加えることができます。これでなんとなく意味のありそうな文章を
つくり出すことができました。しかし「唯物論とは何か」となったときに、これも
じつはうまく説明できないのです。やはりここでも意味の決定を不問に付す
必要が出てまいります。
「西洋合理主義は唯物論であるからわたしは認めない」というように、
「西洋合理主義」も「唯物論」も、ともどもに意味の決定を不問に付しながらも、
「わたしは認めない」と言いきってしまうことが、なぜかできてしまいます。
言語活動としてはどうでしょう。なにか不十分な点がありますでしょうか。
じっさいわたくしは、何もわかっていないし、どの言葉の意味を決定したわけ
でもないのですが、言語活動としては立派に成り立っているような気が
いたしますが、いかがでありましょう。
こうしてみると、差延とは、シニフィアンを次のシニフィアンへと、意味の決定を
先送りしながら、順番に置き換えていく作業のようにもおもわれます。なぜか
これだけで、言語活動は立派に成り立ってしまうようです。考えてみれば、
ふだんの言語活動は、たいていはこんなような感じで成り立っているのでは
ありませんか。
言語活動に、言葉の意味なんてほんとうは必要ないのかもしれません。非実体的
で言葉にさえできない差延が、「意味の起源」である可能性はそうとうに高そうな
気がいたします。
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