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本流対策室/2 板

1996SAKURA:2012/07/25(水) 05:07:07 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA の独り言】として、投稿させて頂きます。

■【 祈 り 】
此処で?不思議なんですョ〜〜〜ネ!「祈りの功徳…」

皆様の中に「??実相をお祈りします。」と言います此の言葉…以前より不思議ですモノ?

■下記にて「祈りの功徳」という言葉が、眼にとまりました。
この場を借りまして…「生命の実相」「徳久先生の著書」よりの一部投稿と、させて頂きます…。

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『「祈り」は決して「実相世界(すでになれるせかい)」を変化するものではないので
あります。祈りは現象世界が実相世界へクラリと方向転換を行うことであります。
この写真にたとえますと現象世界へ「実相世界」の影を移すためにレンズの方向転換を
行ってピントを合わす――いわばこれが祈りであります。
祈っても自分の祈りが現象世界に実現しないのは、光線が薄かったりピントが
ピタリと合わない、すなわち焦点がピッタリ合わないからであります。
写真によい工合に物の姿が映らないのは、実相世界と焦点が合わぬためでありますから、
悟りの光線を明るくして焦点をピッタリ合わすようにするならば、その欲する事物が外界に
あらわれて来るのであります。
悟りの光線を明るくするとはすでに実相世界にすべて善きものが与えられているという
「実」を知ること、焦点をあわすとは、実相世界から投影する光線を適当に集中するために、
信念を強くすることであります』

これが根本原理でありますが、この続きをもっと精しく読んで下さい。

『「祈り」は決して『実相世界(すでになれるせかい)』を変化するものではないのであります。

私たちが、祈るとき、どうしても、自分の「祈り」によって、ものごとをよい方に変化させようと、
いう様な気持が働きがちです。しかし、「祈り」についての、この先生の根本的なお言葉を、
はっきりと心にとどめておいて、既になれる「実相世界のよきこと」に、自分の波長を
あわせるのだと、いうことを忘れず、そのためにはどうするか、その方法をはっきり自分のものに
することで、それによって「祈りの功徳」が違ってきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆ 

■ さて…本当に「祈りの焦点」を、【現総裁雅宣先生】に対しまして、合わせていますのでしょうか?
いつもこの事が”疑問詞?“の私自身です…。
「言葉=言霊」ですから、心からの?つまり本当に【意識集中…】なのでしょうか?
何故なら…「相手を今まで中傷」していらっしゃいました方は、少なくともその“潜在意識”の
深層部には、まだ相手への「中傷」が脳のサ−ボメカニズムに、
デ−タ−として、残っているのでは、ないのでしょうか?
つまり写真で言いますと頃の「光線が薄かったり?ピントが合わず?」ではないのでしょうか?
その様に、思えてなりません…。

この事は「和解…」これに関しても口先だけの“言葉”では、果たして如何なものでしょうか?

従いまして【祈りの功徳…】改めまして、考えてみる必要性があるモノと思う次第です…。

                                    再合掌

Ps:
トキ様 へ
「祈りの功徳」この件は、どの様にお考えでしょうか??“アドバイス”頂きますと
幸いに存じますが……??今から「お祈り」前に…投稿させて頂きました。


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