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本流対策室/2 板

1979トキ:2012/07/24(火) 16:30:16 ID:JlY4A7yE
 ただ、生長の家の混乱を全部、今の総裁のせいにするのも抵抗を感じます。

 昭和の後半とか平成になると、生長の家教団がすごく官僚化してきた、という印象を持っています。
よくも悪くも家族的で、自由な雰囲気があったのですが、それが事務的で冷たい雰囲気の人が増えた
という感想があります。

 私の青年会時代の後輩でも職員になった人が何人かいます。もちろん、理想に燃えて職員になった人
が多いですが、中には、「他に就職できなかったから、生長の家の職員になります」という人も実際に
居ました。昭和の時代には、まだ谷口雅春先生の直弟子の方々がご健在でしたから、統制がとれました
が、平成になり、古い信徒が亡くなられると、信仰面での統制がゆるくなったと言えるかもしれません。

 あと、これは青年会の執行委員長や光明実践委員会議長、あるいはそれに准ずる幹部を経験した
本部職員は、「招請要員」として、幹部候補生の扱いを受けました。こういう人達は、実際に活動で
苦労しているので、信仰面でも運動面でも立派な人が多かったです。が、中には、スピード出世の
あまり、権力主義者というか、勘違いをして、自分は偉いのだ、と思い込む人も少数ですが、いました。

 つまり、組織が肥大化して、本来の目的が見えなくなったのが、生長の家という組織の問題点だと
思うのです。

 そういう人達も増えたので、だんだんと生長の家も、谷口雅春先生時代とは違う雰囲気になったと感じる
事が多かったです。しかし、谷口清超先生がご健在の時には、まだ谷口雅春先生の信仰を継承するという
姿勢がありました。それが、谷口雅宣先生が総裁になられてからは、谷口雅春先生の信仰を継承するという
姿勢すら見えなくなった、といえます。

 例えば、ババ抜きをして、ババ以外のトランプが抜かれて行って、最後にババを抜いた場合、正常な
カードが引かれるほど、ババを抜く確率が高くなります。それと同じで、最後に谷口雅宣先生の独裁
というカードを引きましたが、そこに至るまでは、いくつもの要因があったと思います。


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