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本流対策室/2 板

190初子キャディラック:2012/03/24(土) 15:43:28 ID:ixiWFYoQ
志恩様

「懐かしいコンビが復活」とのんきに語っておられる場合でありましょうか。
さくら様とreiさまが、それぞれ次のように発言しておられます。

>生長の家は、「生命の實相に、触発されて真理を可能なかぎり探究してみたい」そのような試みも、否定されるのでしょうか。
大変失礼ですが、なぜ、その姿勢をそれほどおそれるのでしょうか。

>初子さまの言われたいことは
信仰のせかいにおける多様性のことですね。
いろいろな考えがあっていいとわたしも思います。

わたくしは、一元論は決定論だと申し上げておるのです。わたくしの書き込みに
たいする応答としてもっとも一般的であるのが、神想観せよ、心を正せよ、
神を行ぜよ、といった「汎生長の家主義的(このような言葉があるわけでは
ありません)」ともいえる物言いかと存じます。志恩様がこのように言って
おられるかどうか、それは存じ上げませんが、これをわたくしは「決定論では
ないか」と問題にしておるのであります。

物心二元論の象徴的存在ともいえるデカルトに対抗して、神を唯一の存在である
として、神中心の一元論を展開したのがスピノザであったといいます。スピノザは
物質世界と心的世界を、ともに神の秩序のあらわれと見たようです。しかし、これに
よって「人間的自由」の問題に直面します。人間に自由はあるのか。この問いに
誠実に答えようとしたスピノザは、神の秩序があまりに偉大であるために人間は
それを理解できないのだと結論したといいます。すで定められている運命を
理解できないために、人間は自分が自由だと思い込んでいるにすぎないのだと、
一元論を主張したスピノザはこのように結論せざるを得なかったということです。

雅春先生はこの問題をどのように説かれたでありましょう。わたくしの記憶では、
「神は人間に自由をあたえた」と、このように説いておられたとおもいます。
スピノザが答えられなかった問題を、雅春先生はこのように説かれたと記憶
いたしておりますが、もしも何かご存じでありましたなら、さらに詳しい解説を
お願いいたします。大文献学者の訊け様がおられればちょくせつ伺うことも
できたにありましょうに。

実際にはどうでしょう。自由はあるのでしょうか。わたくしが何かを言えば、
神想観せよ、心を正せよ、神を行ぜよと、このような反応が返ってくるばかり
ではないでしょうか。スピノザが直面したように、人間は神の秩序にしたがって
神を行ずるしかない、それ以外の生き方は御心にかなわないと否定される、
現状を見るかぎり、そうした事態に直面しているとしか思えないのでありま
すが、いかがなものでありましょう。

reiさまは「いろいろな考え方があっていい」と申しておられます。さくら様は
さらに踏みこんだ発言をなさっておられます。志恩様は、この現状をどのように
考えておられるのでありましょうか。わたくしは、一元論は決定論へと向かうと
いうことを、みなさまの応答からますます確信するばかりであります。ご回答は、
さくら様への返信のあとでお願いいたします。


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