[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
本流対策室/2 板
1733
:
アクエリアン
:2012/07/03(火) 21:22:50 ID:qEfoSAyU
歴史の虹を見るには、トインビーの文章が参考になるのではないかと思い、紹介させてもらいます。
■歴史家の視角
人びとは、なぜ歴史を研究するの か。 この問いを個人に即して言えば、本 「研究」の筆者は何故、子供の時分 から歴史を学び、今完結しようとし ているこの本に三十年もの歳月を費 やしたのか。 歴史家は天性のものなのか、それと も造られるものなのか。 歴史家はいずれも自己の経験に基付 いてものを言うであろうから、この 問いに対してそれぞれ独自の答えを 持っているであろう。
「意見は十人十色」Quot homines, tot sententiae(テレンティウス 「フォルミオ」第二幕第四場十四 行)であって、各人が自分の意見を 述べなければならない。 本「研究」の筆者個人の答えは、歴 史家は、幸いに人生に一つの目標を もち得た他の人間と同じく、「神を 追い求め、神を見いだすように」 (「使徒行伝」第十七章第二七節)と いう神の呼びかけのうちに自己の使 命を見出したのである、というので あった。
もしこの個人的な答えが読者に好 意をもって迎えられるならば、それ はまたおそらく、われわれが最初に 掲げた問いのなかに暗に含まれてい るもう一つの問いに答える助けにな るであろう。
われわれはいきなり、われわれは 何故歴史を研究するのか、という問 いから始めたが、まず歴史というこ とによって何を意味するか、という ことを問うべきであったのである。 やはり個人的経験から自分一個の意 見を述べるにすぎないが、筆者は、 歴史とは、誠実に神を追い求める魂 の活動に於いて自己を顕示する神の 姿ーーそれはおぼろげで、部分的な ものではあるが、その限りに於いて 紛れもなく真実の神の姿ーーを見る ことであると答えたい。「神を見た 者はまだひとりもいない(「ヨハネ による福音書」)」し、われわれの 見るどんなに明瞭な姿も神の「断片 的な光」にほかならないからにし て、職業の数だけ異なった視角があ り、歴史家の視角は、異なった才能 と異なった経験をもつ魂が、「想像 を絶して巨大なみわざ(ゲーテ 「ファウスト」)」の異なった断片 を通して見られる神の異なった部分 的な姿を捉える、多くの異なった視 角の一つにすぎない。歴史家の視角 のほかに、天文学者の視角、物理学 者の視角、数学者の視角、詩人の視 角、神秘家の視角、預言者の視角、 聖職者の視角、行政官の視角、法律 家の視角、軍人の視角、船員の視 角、漁夫の視角、猟師の視角、羊飼 いの視角、農夫の視角、職人の視 角、技術者の視角、医師の視角があ る。このように列挙してゆけば何 ページにも及ぶであろう。人間の職 業は数多く、種々さまざまであり、 そのおのおのが与える神の姿は狭く 微かなものであるからである。歴史 家の視角は、これら無数の視角のう ちの一つにすぎないが、それは他の 視角と同じように、人類の漸次的な 実在認識に対して独自の貢献をす る。
歴史の貢献は、人間の経験では六 つの次元を示す枠のなかで進行す る、神の創造活動のヴィジョンを与 えることである。歴史的視角は、物 理的宇宙が”時間・空間”の四次 元の枠のなかで遠心的に動き、地上 の生命が"生命・時間・空間" の五 次元の枠のなかで進化的に動き、さ らに精神を賦与されて第六の次元に 高められた人間の魂が、その精神的 自由を宿命的に行使して、創造者に 向かって、或いは創造者から離れて 動いてゆくありさまを示す。
アーノルド・トインビー著「歴史の 研究」最終巻「歴史家の霊感」より
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板