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本流対策室/2 板
1535
:
「訊け」管理人
:2012/06/22(金) 20:36:03 ID:???
>志恩さま
ありがとうございます。一部転写のご愛念には、感謝致します。ただし・・・・同箇所を読むと判明しますがこれ、「章の編成」には一言も触れられていないことが分かります。(なお、同文中の編成とは「創刊総数」のこと)愛蔵版を底本にしている、そう謳って創刊された新編でありますが「なぜ章組み立てを変更したのか?」・・・・これは文中一言も、触れられておりません。故に一度、光明思想社に於かれましては説明、これを賜りたいものであります。
・・・・なお以下は、やや余談であります。私が章の編成をなぜ問題とするのか、これを説明致します。
・・・大きな理由は、先に述べたとおりです。雅春先生が「熟慮に熟慮を重ね」て決定した編成なのでありこれ、後世の者が勝手にいじってはならぬと考えるからであります。また別の理由と致しましてはあの「章編成」――実に素晴らしい設計がなされていると思えるからなのです。以下は個人的体験談です。上手く伝えられないかもしれませんがまあ、一度書いてみます。
この聖典『生命の實相』ですが、これを約6年前に読んだ際の驚きのひとつにこんなものがあるのです。それは――「神想観、したくなった時に第八巻に入った」というものです。意味補足致しますとまあ、『生命の實相』第一巻から第七巻まで読んだ際、私はもう、こう思ったのです。「ああその、〝神想観とやら〟だが、ぜひやってみたいなあ」と。七巻読んでいる途中にはもう、神想観「ヤリタイ、ヤリタイ」モード、これが全開になったわけです。そうしていたらなんと、次巻・第八巻(観行篇)では「神想観」の解説開始という・・・いやこれ、スゴイ話だと思います。
・・・その時こう思ったのです。「この、谷口雅春って人はスゴイ」と。なぜと申して1〜7巻を読んで私、既述の如く「神想観をやりたい」と熱望するまでに盛り上がったのです。(または雅春先生から、「盛り上げられた」)その絶妙のタイミングで第八巻(観行篇)が目の前に、もう「そろそろ教えてやろうか?神想観(笑)」という風に現れたわけです。そんな絶妙のタイミングで現れたんですから、もうこれ、「ものスゴイ設計が施されてはいないか!?」と・・・・
これは特殊な体験かもしれません。ですがまあ、私個人はこの「章」を、勝手に変更して頂きたくはありません。ですので不明な理由でこんなことが為されたのであれば、非常に悲しいです。正直に申せば「蛮行に等しい」行為、こう申したくはなりましょうか――
拜
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