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本流対策室/2 板
1421
:
コピペ
:2012/06/15(金) 16:24:39 ID:???
『新編生命の實相』の第1巻(20頁)に、このようなご文章があります。
…およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。古来から神品といい神徠といいインスピレーションといったのはこれである。
谷口雅春先生の「聖経」は、それこそ「神品」なのであります。
それなればこそ、「聖経は大きくは世界の病、国家の病を癒し、小さくは個人の病を癒す」と言われてきたのです。
そして、現に、それだけの功徳をもたらしてもきたのです。
その「事実」を目の当たりにしたら、とてもではありませんが、それを〝補強〟しようなどという大それた考え方など、絶対にできるものではありません。
自ら、自分の書いたものを「聖典」とは呼ばせないと言っておきながら、その当の本人が「聖経」を〝補強〟するなどというのは、どう考えてもおかしいし、言語矛盾も甚だしいと言わざるをえません。
今からでも遅くはありません。
「讃歌」を恰も聖経の如く「経本」にしようなどという考えは、きっぱりと捨て去ることです。
こんな代物を“読誦”された日には、ご先祖様が迷います!
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