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本流対策室/2 板
136
:
下流の人
:2012/03/23(金) 23:57:00 ID:rW.yYvdc
唐松のコトバ(2)
の意味が分からない人へ(ほとんどの人が???????)で教団痴呆講師が各々自己流解釈なので、、余計難解です、下層には!
読めばすぐ分かる、本流宣言から捜してきました。本流はやっぱりスゴイです
>>その前段にて (7411)
日時:2012年03月08日 (木) 19時17分
名前:童子
『・・・生長の家では「コトバは神なり」とか「コトバの力」のことを言う場合のコトバは、第一義的には身口意の具体的な表現が生れる前の「想念」や「心の波」のことを指すのであって、
肉声による言葉やそれを録音テープに収めたもの、あるいは書籍に印刷された文字のことではないのである』
と、谷口雅春先生の『甘露の法雨』講釈を引用して、結論をもってきていますね。
この場合「想念 = コトバ」と認証さすことであって、表音文字までを否定してはいかんでしょう。
谷口雅春先生は『維摩経講義』にて
・・・普通、仏教では、悟りは言語文字にあらわすことは出来ないと云いますけれども、実際は言語文字にあらわすことが出来るのです。
悟りの境地を言語文字にあらわすことが出来ないのは、本当には、まだ悟っていないからであります。
私は『生命の實相』二十巻の中に於いて、その解脱の境地をむつかしい哲学的熟語や、仏教用語などを使わないで表現しました。それゆえにこそ『生命の實相』を讀むだけで、読者の生命の迷いが消え、自縄自縛されていた生命の縛りが解放されて、病気が消えたり、人生百般の悩みが解消したりするのである。
これは言語文字によって、解脱の境地を表現し得る証拠であります。
また『ヨハネ傳講義』にては
吾々は聖書や教典を講義して、一字一句どうであるとわかったとて、そんなことは生命の悟りの前には何でもない。
吾々が語るのは本の字句の講義ではないのです。聖書に託して自内證の真理を話しているのであります。
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