したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

966再掲示:2012/07/12(木) 13:15:24 ID:???
雅宣先生の本を読み、祈りのことばを誦えるということは、心のバランスを壊すということになります。なぜか読みたくない、祈りのことばがしっくりしない、そうあなたはまだ正常です。これからは読まないこと、誦えないことが賢明と思われます。しかし、現教団組織にいるとむりでしょうね。もし、「生命の實相」24巻をお持ちでしたら88p〜99pをお読みください。きっとその原因がわかるとおもいます。

「生命の實相」24巻88p〜99pより抜粋
 「現象なしの自覚について」

 「現象はない」という言葉をわたしが使うようになるには霊感的な導きはありますが、わたしとしては人間的にもよほど苦心したのであります。

  かくのごとく「無」の字は竣効を有するので、生長の家では、それが人間に働きかけて、生命を生かすので、有効無害の働きをするように、文章中に巧みに他の言葉と混ぜて調合してあるのです。「無」の字、「ない」という言葉は、生長の家の発明でも発見でもありません。釈迦の昔からある言葉ですが、生長の家の独創的なところは、「無」の字、「ない」という言葉を文章全体の中に織り込んであるその織り込み方にあるのであります。
  この織り込み方はわたし独特であって、わたし独特のインスピレーションによって書いてゆくので、誰にも真似はできないのであります。だから、今までお経を読んでも聖書を読んでも治らなかった病気でも、その同じ眞理が説いてある生長の家では、聖典(生命の實相)を読んだり話を聴いただけで病気が治るのであります。

  近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して、包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受け売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表し、「何々会」等という別意の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人がその種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。
 「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。生長の家と、それらの宗教とどこが違うかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の開放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板