ところが十九世紀の中頃のこと、米国メイン州ベルファスト市にクィンビー博士(Dr. P. P. Quimby)という催眠術に堪能な人があって、催眠術でいろいろと実験をしているうちに、あまりにもみごとに催眠術の実験ができるものだから、これを病気治療に応用してみようということを思いたったのであります。もっともこれはクィンビー自身が当時医術では治らない病気で長年苦しんでいて、その病気でいつ死ぬかもしれぬと思っていたために、医術で治らない病気を治しうる方法があれば、さっそくやってみたいような気分が動いていたのであります。それで試みに数人の病人に催眠術を施して「なんじは神の子だから病気はない」という暗示を与えてみると、ずいぶん好い成績で治ったのであります。ところが催眠術というものは相手を眠らしてしまってから暗示をかけるのでありますが、自分の病気を治すには、自分を自分で眠らしてから暗示をかけるわけにゆかない。そこでなんとか好い方法はないかとクィンビーは考えだした――それでかれは催眠術というものの精髄は眠らすことにあるのではなく、「暗示」すなわち「言葉の力の応用」にあるということを考えついたのであります。それ以来かれは病人に催眠術をかけることなく単に患者の目を閉じさせておくだけで「暗示」すなわち「言葉」によって病気の観念をとり去ると同時に自己の神性を自覚せしめるようにし、人間は神の子であるから何ものにも支配せられるものではないという強い自覚を吹きこむようにしたのであります。これは催眠術からみれば一大進歩であります。催眠術では、自分自身以外のもの(催眠術家)に支配され征服されるという弱さの自覚から出発して病気が治るのでありますから一時は病気が治ってもこの弱さの自覚が、また次の病気を起こりやすくするのであります。ところが、こんど始めたクィンビーの治療は「人間は何物にも支配されない神の子だ」という自覚を言葉で吹きこんで治すのですから、人間の弱さという方面はスッカリうち消されてしまって、治ったが最後いよいよ自分が強くなり、健康だけにではなく、あらゆる方面に活動力をのばしうる根本的な精神的準備ができることになるのであります。
<つづく>