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聖典引用 板

952復興G:2012/07/12(木) 01:33:52 ID:84pogn5s

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<第4回 WEB誌友会用テキスト(8)>

『生命の實相』 第1巻

  《實相篇(上) 光明の真理》 より(8)

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   第二章 「生長の家」の健康学

 現代の「病理学」のみならずおよそ病気についての学問はかの人類をエデンの楽園より追放した「禁断の果実(このみ)」中の一つであります。「悪魔(サタン)」すなわち人間の迷いの心がこの「病理学」という禁断の果実をたべたら、人間は神のような完全な健康になれるだろうと教えたのです。(『創世記』第三章)ところがアダムすなわち「人間」は「病理学」という知恵の果実をたべたためにエデンの楽園から追い出された。人間はほんらい健康で病気になるべきではなかったのに、それからは、刻苦努力して、自分で造った「健康の法則」というものに従わねば健康がたもてぬようになってきたのであります。

 ごらんなさい、野獣には病気はないのであります。野獣は健康法をもっていない。薬をもっていない。それで完全な健康を生まれながらに備えている。けれども野獣をつれてきて、人間界に同居させ動物園なり、牧場なりに放って飼うようにし、人間の思想の雰囲気内に入るようにしておきますと必ず病気になります。獣医がつききりで、野獣が山の中でしたい放題の生活をしていた時分よりも、よほど衛生的規則的に生活させておいてさえも病気になるのであります。これは人間の病的思想――つまりいえば、こうしたら不衛生ではあるまいか、こうしたら病気になりはしないだろうかというような、本来「病気」が存在するということをあらかじめ信じておいて、それを避ける方法ばかりを考えている人間の思想の波動の中に住むから病気になるのであります。

  キリストの超健康法

 この点ではキリストは古今独歩の生命主義者であります。キリストは一度だってひとびとに衛生法や健康法を勧めたことはない。彼は口癖のようになんじの生活のために思い煩うなかれ、何を食らい何を飲まんと思い煩うなかれ、なんじの肉体に何を着んと思い煩うなかれというふうに、衛生のために心を労することにはぜんぜん反対されている。生を衛(まも)るのは人間のこざかしい知恵でできることではなく、生命そのものの自療力であるということをキリストは知っていられたのであります。

 ところが現代の生物学はこのキリストが教えた超健康法とはぜんぜん反対であります。それは宇宙にまず「生命」という偉大なものがあって人間の脳髄や身体の諸機関を作ったということを忘れてしまい、人間の精神力を脳髄の分量で測ろうとしたり、人間の生命力を体重で測ろうとしたりしているのであって、生命とは物質の化学的一作用なりという仮定のもとにあらゆる養生法と治療法とを出発させているのでありますから、物質が生命におよぼす力を非常に恐れている。それでほんらい自発的、能動的、創造的であって物質を支配すべき生命の本性を忘れて、ほんらい無力な他動的受動的な物質の法則の奴隷になろうと努力しているのであります。だから生命はその奔放自在な自己創造的な力を失って、自己萎縮をして、自分が自分で萎縮した程度に応じて物質のまえに無力になっているのであります。だから医学がますます発達し、いろいろの健康法が数えきれぬほど案出され、それによって癒される――あるいは癒されるように見える病気もたくさんあるにもかかわらず、病者の数がずんずんふえてゆきますのは、医学というものが一方では病気を治しながら、他方では人間の霊的自覚を奪ってゆき物質のまえに人間を無力にしてしまいますから、差し引き計算してみると病気を治す数よりも、病気の起こりやすい精神状態を伝播する範囲の方が広いからであります。
<つづく>


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