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聖典引用 板

950復興G:2012/07/12(木) 01:32:26 ID:84pogn5s

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<第4回 WEB誌友会用テキスト(6)>

『生命の實相』 第1巻

  《實相篇(上) 光明の真理》 より(6)

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 水の分子と分子とが互いに隔たっていることは解ったが、ガス体の分子と分子との距離はどうであるかといいますと、それは液体の分子と分子との距離よりもいっそうはなれている。ガス体の容積は圧えれば圧えるほど小きくなるというのが物理学上の定則になっていて、この空気なども強烈な圧力を加えると容積が非常に小さくなって、液体空気となってしまうのであります。この圧えると小さくなるというのは、分子と分子との間に隙があるからであって、ちょうどカステラや海綿を圧えると小さくなるのと同じようなわけであります。

 液体やガス体の分子と分子との間が隔たっていることは解ったが、石や金のような固体は圧えてもなかなか小さくならないから、これらの物質分子相互間はそんなに隔たっていないだろうと言われる方があるかもしれません。ところがあにはからんや石や金属の分子などでも、その分子の大きさを標準に比較していうならば、星と星との間に大きな距離があるほどに分子間の距離が互いに隔たっているのであります。もしわれわれが分子の大きさほどの太さの針を作ることができるとすれば、この針で一直線に石なり金(かね)なりを突き通せば、なんの苦もなくずんずんはいっていって、一個の分子にも衝突しないのでありまして、それはちょうど天空に向かって大砲を発射しても星に当たらないほどの割合いだと研究されています。
 ところがこの分子という物はとても小さい。顕微鏡でさえも見ることができない。だから、その分子と分子間の離れている距離もかなり大きいけれどもなかなか見ることはできない。ここにもわれわれの感覚がかなり鈍いものであって、眼に見えないから存在しないなどということが、いかに時代おくれの言葉であるかが解るのであります。

 かくのごとく物質というものは、離ればなれの無数の分子という小粒から成り立っていて、その小粒と小粒とは非常な距離を隔てているのであります。ちょっと考えると、分子と分子とが互いにひっ着いて離れないであってこそ、物質が一定の形を保ちうると考えるでしょう。たとえば煉瓦と煉瓦との間をセメントでぴったりひっ着けてしまってこそ、その煉瓦建築は一定の形を保ちうるのでありましょう。今仮に、煉瓦と煉瓦との間隔が一枚の煉瓦の寸法の何十倍何百倍という距離をへだててその間に何もつめないで煉瓦建ての建物をつくるとしますと、なかなかその煉瓦建ては一定の形をたもってはいられないのであります。しかし分子という小粒の煉瓦で建築きれている物質というこの建築物は、その小粒の煉瓦(分子)同士の距離が、実に驚くべきほど隔たっていながら一定の形をたもっているのであります。するとぜひともこの小粒の煉瓦に比すべき分子と分子との間には、互いに結合するところの何か力がなければならないとはたやすくわれわれの気づくところであります。
<つづく>


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