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聖典引用 板

948復興G:2012/07/12(木) 01:18:31 ID:84pogn5s

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<第4回 WEB誌友会用テキスト(4)>

『生命の實相』 第1巻

  《實相篇(上) 光明の真理》 より(4)

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 エーテルはこのようにわれわれがその実体を測ってやろうと思うと何もない。しかもそれはわれわれに光と熱とをつたえてくれるのでありまして、それはまた大聖者がとらえどころのない自由な人格でありながら光と熱とをわれわれに与えてくれるようなものであります。たとえば、あなたが今持って来たばかりの火鉢の火に手をかざしますと、手はただちに温(ぬく)みを感ずるのであります。この火は今持って来たばかりですから、手と火鉢との間にある空気はまだ熱くないのであります。それにもかかわらず、われわれが温か味を与えられるというのはエーテルの波動によってわれわれの皮膚の神経細胞が刺激されるからであります。それからまた、われわれは曇り日に戸外を歩いているととつぜん雲がきれると日光が直射して来る。空気の温度は急にそんなに高まらないのに一度にわれわれは熱くなって来たことを皮膚に感ずるのであります。単に感ずるだけではない、長い間、皮膚をそれに晒していると、われわれの皮膚は日やけを生じたりするのであります。このわれわれの皮膚に感ずる熱――温か味はエーテルの波動によって伝えられて来るのであります。日光についていいますと、最初太陽で発生した光の波動は九千三百万マイルの空間を唯の8分間でこのエーテルという実質を伝わってきて、われわれの皮膚に温熱の刺激を与えてくれるのであります。温熱ばかりではありません。われわれはこのエーテルのおかげによって生かされているのでありまして、エーテルがなければわれわれは光も熱も活力も受けることができない。野にも山にもどんな緑の植物も生育することはできない。実に生きとし生けるものは、このエーテルの波動の中から生命力を吸収してそれを蓄え、それによって生活を営んでいるのであります。われわれが日常いただく食物はもちろんのこと、ストーブで燃やす石炭も窯の下で焚く薪も、自動車を走らすガソリンも、すべてこのエーテル波動を吸収して潜在的エネルギーとして蓄えられていたものを再び利用しうるエネルギーの形にし、それを活用して生活しているのでありまして、事々物々エーテルのご厄介にならないではわれわれは生活することができないのであります。

 われわれの皮膚全体はこのエーテル波動に感じやすいのでありますが、特に感じやすい部分は眼でありまして、この眼を通してわれわれは物を見るのであります。といっても実はわれわれはそれが在るとおりに見るのではない。このエーテルという自分自身の本体は眼に見えないところの不可思議霊妙な実体がいろいろに振動している、それをわれわれの心が物の色や形に客観化して見るのであります。

 このようにエーテルという実体はわれわれに光と熱とを与えてくれ、あらゆる生物に生命力を与えてくれ、われわれの眼をひらいて物の色や形の美しさを見せてくれていながら、自分自身の姿を顕わさないのでありますから、人類はながい間、このエーテルという霊妙不可思議体の存在を知らなかったのであります。十九世紀の初めになってその存在にうすうす気づいた先覚者が出てきました。ところが、その後またエーテルの存在を否定する学者が出てきたりしまして、やっと最近になって電気磁気の実験はもちろん、ラジオなどの日常目的にこのエーテル波動を利用する装置が発明せられるようになり、とうていこのエーテルの存在を否定することができなくなったのであります。

 かくのごとくこのエーテルという霊妙な実質の波動によってわれわれは日々生存しなくてはならないエネルギーを供給されているにもかかわらず、人間はついこの間までエーテルなんてものは存在しないと思っていた。なんでも人間というものは、触ることも眼に見ることもできないものは存在しないと考えたがるものであって、無神論、無霊魂論などというものも五官ばかりにたよろうとする、こういう人間の弱点から出発しているのであります。
<つづく>


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