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聖典引用 板

946復興G:2012/07/12(木) 01:04:27 ID:84pogn5s

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<第4回 WEB誌友会用テキスト(2)>

『生命の實相』 第1巻

  《實相篇(上) 光明の真理》 より(2)

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 さて、皆さまはあの銀砂をちりばめたように輝く無限の虚空を仰いでごらんになったことがありましょう。あの燦めく星と星とのあいだの空間にははたして何が存在するのでありましょうか。地球をとりまいている空気は、地上を距(さ)ればさるほど薄くなって空中へ四、五里ほどの高きもあがって行くならば、そこにはもう空気はないのでありまして、「空中」というのにふさわしくない――そこは真に空っぽで「何もない」というのであります。しかしその「何もない」にもかかわらず天体から来る光の波や電気の波はその「何もない」ところを伝わって来る、だから「何もない」けれども、全然の「無」ではない、何か光とか電気とかを伝えるために何かある。そこで科学者はこの何もないと見えるところのものにエーテルという名称を付して存在を認めたのであります。

 さてこの太陽と地球と、星と星との間の何もない空間には光もないから非常に暗黒であります。温度もないから非常に冷たいのであります。科学者の測定したところによりますと、華氏寒暖計で五百度あまりもこの地上より冷たい(摂氏零下二七三度・絶対温度零度)のであります。われわれが高山へのぼればのぼるほど温度が低くなるのは、この寒冷な真空圏に近づくからであります。
 この空気も何もないところにさえも充ち満ちているエーテルという実質――これが科学者が発見したところの最も根本的な実質であります。このエーテルのうちに結ばれた無数無限の泡、これが電気の本体である電子であって、この電子がいくつも集合して物質はできているのであります。

 科学者はこのエーテルという実質が宇宙のいたるところに充ち満ちていると申しますけれども、エーテルそれ自身はわれわれの眼には見えず、耳には聞こえず、手には触れることができず、ぜんぜん無味で無臭であります。だから、われわれにとっては、エーテルという宇宙存在の根本実質は「無」とか「空」とかいうのが適切であります。そしてこの「空無」から一切の現象が展開してきたので、仏教で説きますところの「空即是色」ということも、「色即是空」ということも科学的に解ってきたのであります。

 ところが、われわれはこの「空」を、否エーテルを、毎日利用して生きているのであります。わたしがここにこんなことを説きはじめましたのも、実はわれわれは眼に見えないものは、たといそれが真実存在であっても存在しないと思ったり、眼に見えるものなら、ほんらい「非存在」のものでも存在しているように信じているーこうしたまちがった信念があるために、人間はないものをあると思って苦しんだり、あるものをないと思ってあせったりして、われとわが心で苦しみの世界を活動写真のように映し出してもがいている――それを救いたい助けたいと思うからであります。最も手近な例でいいますと、ここに空気というものがある。しかしこの空気というもの、それ自体はわれわれの五官ではその存在がわからないのであります。だからわれわれは幼い子供に「空気というものが有る」ということを教えるのになかなか困難を感ずるのであります。空気をおなか一杯に吸いなさい、といっても幼い子供はなかなかそれを吸うすべがわからない。しかし風が吹いて来たといえば子供にもわかる――空気そのものはわからないが、風すなわち空気が「波動」になって来ると誰にもわかる。「波動」は「無」のかたちをした真実存在が、形に化して感覚的事物となって顕われるためにぜひ必要な過程であって、われわれが波動(すなわちリズムまたはコトバ)によって創造活動が展開すると申します真理もこんな点からも理解されるのであります。
<つづく>


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