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聖典引用 板

910a hope:2012/07/03(火) 08:11:26 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

私の母校の校医の話【前半】


私の出身中学は大阪の市岡中学(現在は府立市岡高校)でありますが、
私の在学中その中学に校医をしていた別所彰善(べっしょあきよし)というお医者さんがありました。

いつも青い元気のないしかめっ面をして、私などは、なぜあの人は、
お医者さんならば自分の病気ぐらい治らないのだろうと思っていました。

あとで聞きますと別所彰善さんは、大阪医学専門学校へ入学して生理衛生を学び始めた頃から、
食事に対して「こんなものはカロリーがない」とか、
「こんなものは不消化だ」とか人間の心で考えるようになってから胃が弱くなったということです。

これは食べ物に不足の心が起こってきたからです。
医学専門学校を卒業する頃になって肺炎になり、それは幸い治りましたが、
つづいて慢性気管支炎になり、そのほか病気の問屋のようになってしまって、
冬などは風邪の引きづめというような有様になり、風邪を引かぬようにと、
冷水摩擦をやってみましたが、風邪が治るどころか胸背筋(きょうはいきん)リューマチと行って、
胸の筋肉と背中の筋肉が痛むリュウマチに罹ってしまったのです。

医者だけにお手のものの凡(あら)ゆる薬を応用し、
あらゆる養生法をやってみるけれども健康はよくならないのです。

医学から見ると、「あれも病気には悪い」「これも病気には悪いと食物に不平を言っていると、
もう別所さんには食べるものが無くなりました。

一切の不消化物を食べぬようにし、沢庵一切れ――茄子漬一切れさえ摂らぬようにしていましたが、
三百六十五日一度してお腹の空いた事はない。

おまけに、あの食べ物も悪い、この食べ物も悪い、食べ物の好き嫌いをするので脚気に罹ってしまい、
便通がないと胸ぐるしくなるので、毎日毎日舎利塩(しゃりえん)という薬を服(の)んでいましたら、
とうとう神経衰弱に罹ってしまいました。

(後半につづく)


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