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聖典引用 板

762金木犀:2012/06/01(金) 16:25:44 ID:jQ6HeCrg
『生長の家』誌昭和52年8月号から、
【八月の法語】 谷口雅春先生 より(4)

二十八日の法語  龍樹菩薩、竜宮界に超入して華厳経を閻浮提に持ち帰る

ところが、龍樹菩薩という神通力者が、お釈迦さんが亡くなられてから四百年程後に(八百年程後だという説もあるんですけれども)インドに生れてこられました。

この人は神話中の人物で本当に歴史的には、釈迦滅後幾百年後に出生した人だかよくわからないんですけれども、龍樹菩薩は、まことに素晴らしい霊的天才で、四歳にして、神通力で当時インドにあったベダンタのお経を全部読破したという。

それから続いて、地球上にある総ての仏教の経典をそれを皆、読破した、読み尽くしたというのであります。

「閻浮提上に遍く大乗の経典を探(たず)ぬるに大乗の経典なし」と龍樹は歎いたということでありますが、閻浮提というのは地球のことですから、地球上にある仏典をあまねく渉猟(しょうりょう)したけれども大乗の経典は見当たらないというわけで、龍樹菩薩は神通力で竜宮界に超入して竜宮秘沈の『華厳経』の原本を見出したと伝えられています。


二十九日の法語  “大乗”といい“彼岸”という語の意味について

大乗というのは小乗に対する言葉で、衆生を“こちらの岸”から“彼方(かなた)の岸”へ渡す乗物という意で“乗”という字を使います。

“こちらの岸”というのは現象世界のことです。“彼方(かなた)の岸”というのは現象の彼方側(あちらがわ)の岸に実相世界がある。実相世界のことを“彼方の岸”即ち「彼岸(ひがん)」というんです。仏供養をして祖先の霊を実相の彼方へ成仏させるための年中行事の期間を、お彼岸というでしょう。“済度する”という語がありますが、“済”は“救う”という意味で、“度”は“度(わた)す”という意味で、彼岸とは成仏得脱(じょうぶつとくだつ)の境地に喩えたのです。現象世界の迷いの心境の此岸から、実相世界の得脱した悟りの“彼岸”に度(わた)すのです。(度も渡も、どちらもワタスと読みます)彼岸に渡れば仏の悟りを得て、実相世界へ超入したということになるわけであります。

さて、龍樹菩薩は神通力で竜宮界に超入して、お釈迦さんが竜宮界にその最初の説法を秘めておかれた『華厳経』を見出してそれを読んで来てから伝えるところによると、その『華厳経』にどれ程の語数があるかというと、“上本”という省略なしに詳しく書いた『華厳経』に収まっている語数は十三千大千世微塵数(じゅうさんぜんだいせんせみじんじゅ)の語数があるというんですから、これは到底一生涯読み尽くすことはできません。


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