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聖典引用 板
643
:
ハマナス
:2012/05/13(日) 00:13:59 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
ありがとうございます。
今日から、「第六章 智慧はどうしてくるか」に入ります。
不思議な無限の叡智 (『新版 生活の智慧365章』P.153)
吾々は肉体からいうならば常に死につつあるのである。吾々に肉体を構成する細胞、
それは生れ、組織をつくり、その割り当てられたる仕事をし、やがて死んでいく。
その死んで行った後の椅子を、新しく生れた細胞が埋め、前の細胞が行って来た仕事の
引き継ぎをして、全体として統一ある仕事が行われるのである。新たに生れた細胞は
生きていて、仕事を引き継いで、継続してその任務とする仕事に従事する“引き継ぎ”は
如何にして行われるであろうか。引き継がおこなわれるためには“心”がなければなら
ないのである。細胞から細胞へとその事務引継ぎは行われるのだろうか。それとも、
中枢からの命令が無線伝導で行われるのだろうか。直接その事務引き継ぎが行われるに
しても、中枢からの命令が無線伝導で行われるしても、いずれにせよ、細胞が行きていて、
それに“心”があるからこそ引き継ぎができたり、中枢の命令が感受できるのだといわ
なければならないのである。
或いはそれは“心”によって感受するのではなく、電子計算機のように自動的にその
引継ぎや命令の伝達が行われるのかも知れない。併しなお、問題は残るのである。
この極めて微小な、肉眼で見えないほどに小さな細胞に電子計算機のような複雑な構造が
組み込まれているだろうか。若しそうだったら、そのような微小な中に複雑な構想を組み
込んだところの「創造者」は実に驚くべき叡智を備えた者でなければならない。
それは到底、吾々人間の脳髄の知恵でできることではないのである。脳髄をも造った
ところの不思議なる「無限の叡智」それを神というのである。吾々はどうしても神の存在を
認めなければならないのである。
感謝合掌
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