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聖典引用 板
635
:
ハマナス
:2012/05/11(金) 09:44:47 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
おはようございます。
他人を赦すこと (『新版 生活の智慧365章』P.150より)
自己が災害を受けないために、自己を赦そうと思っても、自己が他を害そうと云う
悪念が現に動いている限りに於ては、自己の潜在意識の奥底にある“良心”が自己を
処罰するに至って、やっぱり災害を受ける事をまぬがれることはできないのである。
メニンジャ―博士は次のような実例を掲げている。――
「もっと劇的でさえあるような別の実例が、最近私の注意を惹いた。私は新聞である
男のことを読んだが、この男は、自分の鶏を盗もうとする奴を自動的に鉄砲が打つような、
泥棒除けのわなをしかけていたが、彼自身このことを忘れてしまって、一番先に鶏小屋に
入り込み、自分自身のしかけた鉄砲で殺されてしまったのである。私は、これこそ自分で
自分に行った死刑の見事な実例だと思う。・・・二ヵ月ほどして私は、自分の自動車を
守ろうと、自分のガレージにわなをしかけていた男の別の実例を見つけた。彼は、
一月ばかりの旅行に出たが、戻って来た時、自分自身のしかけた泥棒よけのわなで殺
されてしまったのである。私はこの切り抜きをもとっておいたが、更にもっと沢山の
実例を探し始めた。一年ほどのうちに私は、他の男を殺すためにしかけたわなに、
自分自身がひっかかった五人の男の実例を手に入れた。私には、これらの事故が単なる
偶然の一致ということだけで説明できるとは考えられない。自分でしかけた死のわなに
自分がひっかかるような男には、一種の、(無意識的な)罪悪感、おそらくは他人(泥棒)
を殺そうと願ったことから生じた罪悪感という要素が存在していたにちがいない。」
(メ博士著『こわれたパーソナリテイ』二七九頁)
以上のような実例によってわかることは、自分を害そうと思う者や、自分から何かを
奪おうとしている者さえも、吾々は赦さねばならないと云うことである。相手を憎んで
相手を害しようと思うならば自分が害されることになるのである。
感謝合掌
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