[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
聖典引用 板
627
:
志恩
:2012/05/10(木) 09:51:25 ID:.QY5jUA6
うのはな様
黒塗りの教科書
鹿沼掲揚 先生著『子育て免許証』からの謹写、感謝いたします。
鹿沼先生(本部講師)は、学芸大学付属中学の校長先生をなさってて、その後に、学芸大学教授・理学博士になられた
インテリジェンスの高い先生でしたが、鹿沼先生は、そのような地位とか名誉など、ちっとも鼻にかけることのない、とても謙虚で人格的にもすばらしい先生でしたので、
多くの信徒の方々から愛され
憧れられてた先生でした。
生長の家 新教連・生命学園の講師も兼務されてました。
夏休みに、鹿沼先生が、当時、総務をされてた「河口湖 練成道場」で、生命学園小学生練成会があり、そのとき、私は、3人の子供たちを連れて
練成会に参加しました。親子で参加する練成会でしたので。
そのときの練成会には、学校の教師であり、生命学園の講師でもいらした”野木清司先生”も、ご指導のため参加されてました。
私が、印象に強くのこっておりますのは、野木先生は、ご自分のご講話の時間以外は、練成会の参加に混じってというより、一番後ろのところに
ずっと正座されておられて、神想観のときも真面目に参加されてましたし、鹿沼先生のご講話も、生徒のようなまなざしで、真剣に聞いておられたことです。
早朝に、富士山にバスで登ることもプログラムに、はいっていたのですが、
私は、当時、野木先生には、本部で、有志の皆様とご一緒に、書道を教えて
頂いておりまして、野木先生とは、顔見知りでしたので、富士登山のときは、野木先生のお隣りにずっといて、いろいろとお話させて頂いていました。
そのとき、野木先生は、この生命学園の練成会は、私が最後に参加する練成会なのだ、とおっしゃっておられました。
昔の時代は、このような大物の先生が、いっぱいおられましたよ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板