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聖典引用 板
594
:
金木犀
:2012/05/05(土) 02:59:04 ID:wrF1mhWI
五更の残月 田中忠雄先生 (5)
有時(うじ)定(じょう)より起って双澗(そうかん)に下り
有時は、「有る時は」と読んでもよい。「定」は「禅」のことだ。禅は梵語jhzanaの音訳「禅那(ぜんな)」の略であって、意訳して「定」といい、また「静慮(じょうりょ)」ともいう。世の俗縁に煩わされず心を専らにして動揺させないことである。
長い間坐って「定」の境地にいたが、ある時にはふと「定」から出て座を立ち、双澗に降りて行く。双澗の「澗」は峰と峰との間の渓流のことだから、双澗は渓流が両方から流れて一つになるところ。そこが水を汲むに適している。そこで、有る時は定より起って双澗に下り……
瓶(びょう)に五更の残月を汲んで帰る
瓶は水瓶のこと、元来は菩薩が仏行を行じつつ諸方を往来するとき、身にたずさえていなくてはならないものが十八あって、これを『菩薩戒経』というお経には「十八物(もつ)」と称して三衣(え)、鉢、坐具、錫杖などを十八種あげてあって、その中に「瓶」というのがある。水を汲んで入れる器だ。
だから瓶は、今の人のいう瓶、ビール壜の壜、とはちがって、神仏にお供えする浄水の容器である。だから、ここにいう瓶は、仏教でいう閼伽桶(あかおけ)のことだろう。仏教語はインド産で、シナを経由して日本に来たので、ややこしいが辛抱して一応はわかっておかないと具合がわるい。むかし中学四年のとき鴨長明の『方丈記』の一節を習ったことがある。今でもおぼえているが、その中に「よひよひごとの閼伽の水」という文句がたしかにあった。それを六十年近くも後になってから調べてみるのだから、恥ずかしいやら可笑しいやらである。
梵語でarghaというのを音訳して「閼伽」というそうだ。くわしいことは語学者に聞くよりほかはないが、これは「水」のことらしい。浄水だと、神仏にささげる供物の意味になる。それから、これを入れる器の意味にもなるが、今では専ら仏前やら神前やらに供える浄水のことである。そうすると、『方丈記』の「閼伽の水」は、浄水の水というので言葉がダブって奇怪な日本語である。サンスクリットとシナ語と日本語の「みづ」の三つがチャンポンになっているわけだ。まことに国際的で面白いといえば面白い。
つづく
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