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聖典引用 板
589
:
金木犀
:2012/05/04(金) 10:04:27 ID:wrF1mhWI
五更の残月 田中忠雄先生 (4)
風寒露を吹いて禅衣を湿(うるお)す
長松下に独坐していると、そよ風が松を渡って、松にやどる露が滴って我が禅衣をうるおす。つまり、自己に雑物の混入がなくて澄みわたると、一夜に一滴の露が落ちても、そのかすかな音が聞こえる。だから、良寛の詩や歌を「音の芸術」と言った人がある。国上山(くがみやま)の草庵に独り坐し独り寝ていると、笹竹の雪をはねる音、松風の音、遠くで鳴く鹿の声などが、静寂の夜を更に一層静寂にして、しんしんと更けてゆくのである。
独りということは、自己が自己になり切ることであり、精神の高貴な人が必ず透過した関門である。それは決して寝そべって暢気にだらりとすることではない。大自然の中で、風寒露を吹いて禅衣を湿(うるお)すのである。寒いから火を持って来いというわけにはいかぬ。明日は晴れそうだなと希望的観測をしても、誰一人共感もせぬし反対もせぬ。自然の運行には恵みばかりでなく、きびしさがあって、われ独りでそれに応対しなければならぬ。のみならず、毒蛇や毒虫がおり、猛禽や猛獣もおる。
おのれだけの宇宙ではないことが、おのれ独りになってみて初めて体験的にわかるのだ。私のような下根劣機は、厚い壁の牢獄にぶち込まれて、一年間留置所で強盗や痴漢や詐欺師と一緒に暮らして後、一年間独房で暮らし、一年間無言の行をやり、寒さで千回も万回も寝返りを打ち、暑さで無風の二畳の中でゆでられ、首や股がひどく爛れても、誰も助けてくれる者がなく、苦痛に同情してくれる者もなくなって、はじめて親の恩、衆生の恩、師の恩がわかり、それがわかっても天地の恩や国王の恩などは、なおわからなかったのである。
小人閑居すれば不善を為す、という言葉があるが、小人の閑居は不善を為す相手がいるからのことで、独りではない。人目のとどかぬところへ逃げて、そっと隠れていても、思うことは意馬心猿で大騒ぎだ。人目がなく、どんな勝手もできるときに独りを慎む人を君子というのだろう。その風光が「風寒露を吹いて禅衣を湿す」というさりげない表現になっている。
つづく
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