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聖典引用 板

576金木犀:2012/05/03(木) 15:45:35 ID:wrF1mhWI
五更の残月     田中忠雄先生 (2)


二十一年にわたる鳳儀山聖護寺の時代は、文字通り「山居」であり、禅師はこのあいだに一歩も山を出なかったのである。

いまは大智禅師伝の「山居」の事情について、そのあらましだけを述べるにとどめ、以下は専ら、前掲の偈頌一篇を味わって、この比類稀な禅匠の面目を窺うことにする。

香を焚いて独坐す長松の下(もと)
「香を焚く」の「香」は梵語tagara、音訳して多伽羅(たから)、略して伽羅(から、きゃら)、仏前にこの香料を焚いて供養するのである。これを嗅ぐと、眼、耳、鼻、舌、身の五根とその対境が清浄になるとされる。今でも仏前に香や線香をくゆらせるのは、仏教徒の習わしである。

「独坐す長松の下」……松の巨木の緑の下で、ただ独り座禅をする。樹下石上に座して頭で天を衝き、大地に結跏趺坐して微動もしないのだ。ここでは「独坐」の「独」が最も大切である。そこには群衆は存在せぬ。グループを作ってする大衆行動は存在せぬ。たとえ何人並んで坐っていても、坐るのはわれただ一人である。

坐ること自体、すでに自己が自己に成りきることだ。外から雑多な夾雑物を詰め込んだ自己が五官の迷いを去り、先入の思想を捨て、背負い込んだ俗人の荷物を残らずおろし、天上天下ただわれ一人になる。但し、一人といえば一、二、三の数のようだから、やはり「独り」の方がよい。

学徒あり、百丈大和尚(唐代の大哲人)に問う。「如何なるか是れ奇特の事」……めったにない特別に素晴らしいことは、どんなものでしょうか、と。百丈答えて云く、「独坐す大雄峯」……わしがこの大雄峯(百丈山の別名)に、この通り独り坐っていること、これが宇宙で最大の奇特である、と。この「独坐す大雄峯」は、千古不朽の名高い金言であるから、久しくこれに参じた大智禅師が、「香を焚いて独坐す長松の下」という一句を吐いたのは、たくまずして最尊至高の仏行たる坐禅をする姿である。


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