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聖典引用 板

540ハマナス:2012/04/28(土) 09:06:09 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま

おはようございます。こちらの板にも、再投稿させて頂きます。

毎晩寝る前に、雅春先生のテープを拝聴していますが、最近、
『真理の吟唱』の中に印象に残るところがありましたので、謹写させて頂きます。

 想念感情を浄める祈り  (『真理の吟唱』P.57より)

 神の“平和の霊”よ、吾に臨(きた)り給え。われを平和の雰囲気をもって包み給え。わがうちに“平和の想念”をもって満たし給え、
“調和の霊”をもって満たし給え、争いの心を起こさしめ給うことなかれ。憎しみの感情を起こさしめ給うことなかれ。憂え悲しみの念
(こころ)を起こさしめ給うことなかれ。すべての暗黒なる想念感情を、太陽の光を乗せた朝風が、夕べの霧を吹き払うがごとく雲散霧消
せしめ給え。ああ我れかく祈り奉る。

 ああ神の霊(みたま)わがうちにあり、神の霊わがうちに輝きわたる。霊の光あまねくわが内にあり、また、わが外を包めり。
わがうちに神のコトバあり、神がそのコトバにて天地の一切のものを造り給いしが如く、われも亦わが身辺、わが運命の一切をわが
コトバにて造るのである。コトバは創造のエネルギーであり、創造の鋳型であるのである。鉄を溶かしてそれを鋳型の中に流し込めば、
その鉄が固まるとき鋳型の通りになるが如く、宇宙に満つる“無形の実質”が固定化して物質の形を帯びてくるとき、それはコトバで
述べた通りの姿形をあらわすのである。


 それゆえに、私は今後決して、悪しき事をコトバにて言い表すことをしないのはもちろんのこと、コトバによって悪しき事を心に
想うことさえもしないのである。心に想うことは“無性のコトバ”を心の中で発しているのであるから、それは、ガラス工場の工員が、
“無形の息”を透明のガラスの中に吹き込むその吹き方の相違によって、色々のガラスの像(かたち)やガラスの器具を作るのと同じ
であって、色々の運命、環境、境遇、健不健の肉体等を造り出すことになるのである。

今より後、決して私は悪しきことを思わず悪しきことを言わず、人を呪うことなく、怒ることなく、現象の悪に心を捉えられることなく、
ただ善のみ、光のみ、美のみ、幸福のみ、豊かさのみ、調和のみ、平和のみの実相を心に見、コトバに発し、常に想念感情を浄めて、
この世界の実相たる天国浄土を地上に実現せんことを期するのである。仰ぎ願わくは、大神の御慈導を得て、われら行く道に迷うことなく、
険しきを平らかならしめ給い、あやまりて暗黒の想念を起こすことなく、我が心を常に護りて、もろもろの汚れより遠ざからしめ給え。
 
ああ、われは、天地を想像し給いし大いなる力ある“神のコトバ”と同じき言葉をわが内に有(も)つのである。コトバは双刃(もろは)
の剣である。それは公平に自己を斬り、相手を斬り、一切の悪しき言葉を出す者のすべてのものに公平なる宣告を与えるのである。
善き言葉をいだす者は永遠に祝福せられ、悪しき言葉をいだす者は常にその言葉相応の傷を受けるのである。われは今、この真理を
知らしめ給いしことを神に感謝いたします。ありがとうございます。


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