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聖典引用 板

537SAKURA:2012/04/27(金) 21:07:57 ID:FEa/NNlc

トキ様 へ
観覧者様 へ

こんばんは…ロ−マ字の【SAKURA】です。御無沙汰していますが…
久しぶりに…【仏教典…】以前からの続きですが“投稿”させて頂きます。
【はじめの第1章…】からで〜〜〜〜〜す! 続編です…。
 
■ 第2章  永遠の仏
−−−第1節  いつくしみと願い−−ー

1.仏の心とは大慈悲である。あらゆる手だてによって、すべての人びとを救う大慈の心、
人とともに病み、人ともに悩む大悲の心である。

ちょうど子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、
救い取るのが仏の心である。「おまえの悩みはわたしの悩み、おまえの楽しみはわたしの楽しみ」と、かたときも捨てることがない。

仏の大悲は人によって起こり、この大悲に触れて信ずる心が生まれ、信ずる心に
よってさとりが得られる。それは、子を愛することによって母であることを自覚し、
母の心に触れて子の心が安らかとなるようなものである。ところが、
人びとはこの仏の心を知らず、その無知から愛着を起こして苦しみ、煩悩のままに
ふるまって悩む。罪業の重荷を負って、あえぎつつ、迷いの山から山を駆けめぐる。

2.仏の慈悲をただこの世の一生だけのことと思ってはならない。それは久しい間の
ことである。人びとが生まれ変わり
死に変わりして迷いを重ねてきたその初めから今日まで続いている。


 仏は常に人びとの前、その人びとにもっとも親しみのある姿を示し、
救いの手段を尽くす。


釈尊族の太子と生まれ、出家し、苦行をし、道をさとり、教えを説き、死を示した。

人びとの迷いに限りがないから、仏のはたらきにも限りがなく、人びとの罪の深さに
底がないから仏の慈悲にも底がない。
 だから、仏はその修行の初めに四つの大誓願を起こした。
一つには誓ってすべての人びとを救おう。二つには誓ってすべての煩悩を断とう。
三つには誓ってすべての教えを学ぼう。四つには誓ってこの上ないさとりを得よう。
この四つの誓願をもととして仏は修行した。仏の修行のもとがこの誓願であることは、
そのまま仏の心が人びとを救う大慈悲であることを示している。
            
            <つづく>              No.1


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