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聖典引用 板

525a hope:2012/04/26(木) 09:14:43 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

花びらが降るような誉め言葉(後半)


ところが「自家(うち)のおやじは一日中叱言(こごと)言う」とか「一年中叱言を言っている」とか考えているのは、そう考える奥様や子供の心の中に「叱言」がいつまでも忘れられずに貯えられているからです。そういう場合にはどうもその家庭は面白くないから、良人の方でもあんな家内に話しかけても面白くないと思って奥様の部屋に行かないで、夫婦一つ屋根の下で同棲していながら、黙って十日も二十日も物も言わずに暮らしているような状態になる事もあります。

そんな状態はなぜ起こりかと申しますと、それは「悪いこと」をいつまでも心に持っているからであります。「悪い事」をするのは悪いには相違ありませんが、「悪いこと」を心に持っているのは尚いけないのです。なぜなら悪いことを実行するだけなら、やってしまったあとはもう無いのですけれども、心の中に持っている時は、その悪いことを何時(いつ)までも何時までも持っているからであります。

悪い事はなんでも忘れる事が、生長の家の生き方でありまして、たまには腹が立ってもよろしい。しかし五分間もしたらその腹立ちが心の中ですっかり帳消しになって忘れてしまうようでないといけません。それを生長の家では自壊作用と申しまして、業が解消する作用の一つとして叱言が出たり夫婦喧嘩をしたり、時には攫(つか)み合いをするという事がありましても、それは決して悪い事ではないのでありまして、過去に溜まっておった自分の念(おもい)―――その念の鬱積(うっせき)というものが形になったのであって、形に現れた時、内部の心もつれは消える時なのであります。

たまたま主人ががんがん言っても、「これはありがたい、これで二人の間の蟠(わだかまり)が今夕立のようにあらわれて明日は晴れるのだ、これで二人の中が晴天になるのだ」と思うと本当に晴天になって、よけい中が良くなる事になります。会社、工場で上役や同僚(なかま)の者とイザコザが起こるのも同じこと、業が消えてなお一層よくなる。「これはありがたい!」と感謝の心で受ければ、その後は一層よくなるのです。そういうふうに致しますと、私達の生活が本当に生長の家となり、栄える家の生活になるのであります。

(つづく)


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