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聖典引用 板

521SAKURA:2012/04/25(水) 22:27:16 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

今日!「生命の実相」拝読しながら〜
■生命の実相抜粋・・・
『文章術によって生命力を振起する道を拓いたのが
『生命の実相』である。学と術とはちがう。現象学は正確に
告げる必要があるし、現象学は現象を正確に告げる必要があるし、人を生かす術は
現象を飛び越えさせてしまう。』           (谷口雅春著)

此の文章に、心打つものがありました。「現総裁先生…」の書物…
現代版としてマッチ致すものと、私なりに解釈致しました。此処で、改めまして、
『投稿』という形を、とらさせて頂きます…。

■■ 【 心でつくる世界 】
【序章 生長の家の世界観】

―――現実は仕方がないのか?―――
「それが現実だから、仕方がないよ」

―――こういう言葉を、我々は学生時代によく使った記憶があるだろう。その頃は、
子供から大人になりつつある時期だから、家庭や学校で学んだ「正しい生き方」
とか「理想」や「夢」を胸に抱きながらも、そのような望ましい生き方ができず、
あるいは自分の希望が実現しないことが多かった。そんな時、「壁にぶつかる」と
いう表現もよく使ったはずだ。もちろん、大人になっても同じ言葉を使いたい時は
あるだろう。が、大人は“ 現実 ”が何であるかを先に見越して「仕方がない」
ことに手を触れなくなりがちだし、あらかじめ “壁 ”との接触を避ける方法を
考え出していたりする。また、夢などとうに失っている場合には、 “壁 ”の
存在も感じなくなっているかもしれない。だから多くの大人は、学生の頃の覇気を
失い、“現実”や “壁” とは闘わなくなる。そういう “敵”が自分より強い
ことは、もう十分経験してわかっていることだからだ。
このようにして我々は、いつの間にか “現実”や “壁” というものが、自分
一人の手にはとても負えない、何か堅固で、頑丈で、恐るべき存在であるかのような
印象を心の中に作り上げてしまう。そして次第に、そのようなものが ”現実世界“
であり、客観世界であると思いこむようになる。自己は現実の外側に違和感をもって
対峠し、自分と客観は対立してくる。重要なのは、この迫り来る “現実” とどう
取り組み、“客観世界” にどのようなインパクトを与えるかだ、と思う。
だから、「現実的な生き方をしろ」と言えば、「理想や夢を追うのは価値がない」という
ニュアンスが含まれ、「主観的な問題だ」と言えば、「あまり重要でない」という意味が、
その背後にある。
そのように広大で、硬質で、無情な世界の中で、人間はたった一人で生きて
いかねばならないと思うと、我々は時に、たまらなく不安になり、寂しくなる。
そこで恋人や家族にその「不安」や「寂しさ」を癒してもらおうとする。
また、この孤独の不安の問題を解決するために、宗教の門を叩く人もあるだろう。
すると、そんな人に向かって「宗教に入るのは、現実からの逃壁だ」と非難する人も
出てくる。また、「孤独に耐えられない弱者の溜り場が、宗教だ」と言う者もいるだろう。
こういう宗教批判者の心の中には、独力で “壁”を破り、“現実”を
自力でネジ曲げることができるのが強者であり、人生の勝利者であるとの考えが
あるのだろう。そこには、やはり“現実世界”堅固で、容易に変えることのできない
世界が、本当に我々の周りにあるのだろうか?
              <つづく>             No.1


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