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聖典引用 板

493うのはな:2012/04/22(日) 20:30:18 ID:El6gIMAw
  迷いの暗を切り光を現わす真理の神剣の働き

 『生命の實相』第一巻の開巻冒頭に、“はしがき”よりも、目次よりも、尚、
その前の頁に、新約聖書の『黙示録』の第一章にある白髪の翁の姿をもってあらわれた
「久遠のキリスト」の姿が描写されているのである。「何故、生長の家はキリスト教ではないのに、
キリスト教聖書の一節を、『生命の實相』第一巻の“はしがき”よりも目次よりも尚前に引用して提出
してあるか」といいますと白髪は久遠の表象であり、キリスト教に於いては“生長の家の大神”は白髪の
久遠神(ユダヤ人のイエスではない)としてあらわれていられるからであります。その白髪のキリストの御姿の
描写の中に「その口より両刃の利き剣出で」と示されている。

これ真と偽とを別ち美と醜とを分別し、善悪を審く、最後の審判の神剣なのである。善悪・美醜を審判する“秩序の智慧”が
神であり、その神剣によって悪は切り棄てられ、偽は葬られ、本来無いのに姿をあらわしている病その他一切の醜きものは切り棄てられて
地獄の火の杭に投げ入れられ焼きほろぼされて、真なるもの、美なるもの、善なるもののみがそこに住吉の世界が地上天国として姿をあらわすのであります。
もし、この真と偽とを分ち、真なるもの、善なるもの、美なるもののみを顕わし、これに反するものを切り棄てるハタラキが発動しなければ天地は完成しないのであります。
この真偽を分ち、美醜を区別し、善悪を審判するはたらきによって、天地は一新するのである。
『黙示録』第二十一章にはこの事が明らかにされている

『我また新しき天と新しき地を見たり、これ前の天と地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。我また聖なる都、新しきエルサレムの夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、
天より降るを見たり・・・見よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、かれらの目の涙をことごとく拭い去り給はん。今よりのち
死もなく、悲嘆も、号叫も、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり・・・斯くて御座に坐し給ふもの言ひたまふ「視よ、われ一切のものを新たにするなり」....』

これが、“両刃の剣”のはたらきであります。“剣”は“片無”(刀)ではないのであって、敵を切るために、敵に向う一方にのみ刃がついていないで、自分に向う側にも刃がついていて、真ならざるもの、
美ならざるもの、善ならざるものがあれば自分を切るのが、剣のハタラキであります。
これが地上に平和をもち来らし、最後の審判によって、新しき天と地とをもち来たす住吉の世界を創造する神剣のはたらきである。
参考につぎに『秘められたる神示』の中に収録せられている『最後の審判の神示』を再録して、両刃の剣のハタラキを明らかにする。

 生長の家 誌 昭和53年11月号  谷口雅春 先生


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