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聖典引用 板

492a hope:2012/04/22(日) 11:19:25 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

弱きを助け、強きにも深切


私達は弱きをも助けるが、強きをも挫(くじ)く事は要らないのであります。弱きにも深切にし強きにも深切にし、どちらも褒めてみんなを生かし、みんなを味方にしてゆくという事によってのみ私達は本当に生長することができるのであります。

人間をよく見ていますと判ります。たいてい発達しない人、立身出世しない人は、よほど頭も鋭い人で、こんな人がどうして出世しないのだろうと思ってよく見ると、強きを挫くという性質があるのであります。これが私達の成功を妨げる事が非常に多いのであります。自分より上役に丁寧にすることをお追従(ついしょう)をするように思い、自分より偉い人に深切にする事をおべっかを使う事だというように、自分考えで誤解している人が出世しない人に多いのであります。純な気持で、偉い人を偉い人として尊敬する事は、素直な動機であっって、それは尊敬すべき美点であります。

それなのに、それを何かおべっかを使う事だと考えて、そうしてその素直な人の悪口を言ってみたり、邪魔をしてみたりしておりますと、その人はどうしても自分自身の運命を自分の言葉で阻まれて発達しない、幸福に見舞われないという事になります。なぜかと言うと、それはやはり「類は類を招(よ)ぶ」という心の法則によるのであります。そういう人は弱き人ばかりに深切にしているから弱い者ばかりが自分の見かたである。本当に自分の助けになるような強い人は自分の味方になってくれないという事になるのであります。それでは出世のしようがありません。

本当に自分が発達しようと思うには弱い人に深切にすると同時に強い人にも深切にしなければならないのです。私達は上役にも、点数の多い人にも、月給の多い人にも、どんな強い人にも親切丁寧にしなければなりません。むろん卑劣な根性で、阿諛追従(おべっかついしょう)をするのではありません。けれども他(ひと)の偉いところを正直に認める事ができるのは、それだけでも非常に偉大な心なのです。

むろん大きな光の中にも或いは陰があるかもしれません。太陽にだって黒点があるのですが、太陽の黒点ばかりを睨んでおって、太陽だって黒いじゃないかと悪口(あっこう)を言っておってもしかたがないのです。光明思想というのはその太陽の明るい方ばかりを見て、「太陽は明るい、ありがとうございます」とお礼を言い、感謝する心であります。

こういう心の人はきっと成功いたします。如何にその人に黒点があっても、大きな光は大きな光として尊敬する、それが自分自身を大きくするゆえんであります。級長や、金持ちや、目上の者や、ともかく自分より多きなるものの悪口を言う心の中にはきっと、嫉妬(ねたみ)羨望(うらやみ)などという悪い心持、不徳な気持ちが隠れているのでありまして、それは卑怯なやり方であります。偉いものを偉い者として朗らかに褒め得る、それはまた非常に偉大な人間でなければできない。それができれば、それだけでも偉いのであります。なんでも素直に白い者は白いと言い得るように、偉い者は偉いと誉め得る者でないと出世しません。

(つづく)


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