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聖典引用 板

480復興G:2012/04/20(金) 12:47:27 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(16)

   ブラジリヤが伯国の首都となる預言

 私がブラジルへ行きました時、ブラジリヤと称するブラジルの新らしい首都を視察に行きまして、そこでも講演会がありましたが、その時、日系のブラジル上院議員の田村幸重さんに聴いた話でありましたが、その町ができるということは1877年10月30目、イタリーのカトリックの坊さんのヨハネス・ボズゴーという聖者が、祈っている時に、此の奥地のブラジリヤというところにブラジル国首都ができるという事を、ジーッと霊眼で視て、それを預言した。

 ところが当時ポルトガル領土であったブラジルが、今から七十何年か前に独立して、新らしい憲法が制定されることになった。その時に、ヨハネス・ボズゴーの預言に従って、ブラジル国の都をブラジリヤに創るということが書き入れられたが、今から約四年程前に現象界にそれが実現して、この大分奥地であるところのブラジリヤの大平原にブラジルの都を作ることになってきたのであります。

   何故、預言はできるか

 さて、それでは、その「事実に符合する預言」というものがどうしてできるかといいますと、“現象界”に現れてくるものは、悉く“心の世界”に先ず“想念”として、“言葉”として、“心の思い”(心の中で唱えられるコトバ)として存在したものが、それが形の世界に現れてくるのだからです。だからすべての事物は、“形の世界”にあるまでに、“心の世界”に必ずその精神的原型が――元の形が――あるわけであります。

 しかしそれは“心の世界”の存在であるから、普通の肉眼では感じられない。肉の耳にも聴こえない。けれども、祈りによって心を澄ましているときには、そういう「現象以前の世界」に波長が合うことがありまして、それがいわゆる霊感として現れてきて、その原型が視えたり聴こえたりするのです。その霊感で視聴したものを発表すれば、それが預言者すなわち、やがて来るべき事をまず知った人ということになる訳なのであります。

 すべて形あるものは、“心の世界”にあるのであるから、霊感によってそれを感じたとき、霊感者は、それを預言することが出来るわけであります。しかしながら、霊感者が預言しても、預言しなくても、すべてのものはまず“心の世界”にその“原型”があって、それが現象化して形に現れて来るのであります。

 さっき言いましたように、朝顔の花の形でも、種の奥の奥に、肉眼に見えない縦横厚み以上の世界に、ちゃんと朝顔の“花の原型”があって、それがやがて現象界に形に現れて来るわけであります。人間がこの現象世界において、成功をしたり、発展をしたり、色々幸福生活が現れて来るというのも、先ず“心の世界”にそれが描かれていなかったならば、“形の世界”にそれは出てこないということになるわけなんです。

 “心の世界”が“現象の世界”に先行するのです。吾々は現象世界にあらわれているものが「本当にある」かのように肉眼で見て感じているけれども、現象世界は“心の世界”にあるものの唯“影”にすぎないのであります。影だから移ろう――変化して、やがて消えてしまうのです。
<つづく>


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