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聖典引用 板

474復興G:2012/04/20(金) 12:43:39 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(10)

   愛を実現するのは祈りと愛語と讃め言葉である

 宣言の第四ヵ条は次のように書かれております。

  吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。

 さてその生命の無限生長を速めるためには、祈りと、愛語と、讃嘆との「言葉の創化力」が必要なのであります。生命の糧は愛であって、愛は生命の食糧みたいなものです。しかし食糧が与えられても、それを消化して同化吸収させなければならない。それにはどの様にしたらいいかというと、祈りと愛語と讃嘆との言葉によって、その愛をしみじみと感じさせ、相手の生命が愛によって培われて生長しやすいようにしてあげるのであります。創化作用というのは形なき状態から形あるものに化して創り出すはたらきであります。

   祈りの意義について

 「祈り」といいますと、普通の宗教では、たいてい神に懇願する意味につかわれています。神様にかきくどき、泣き付いて、「私は貧乏で困っているのであります。どうぞ神様、何とか今日の食事を与えたまえ。」という様な祈りをしたり、「私は病気で困っているのです。神様お慈悲がありましたら、この病苦からお救い下さいませ。」と縋(すが)り付き泣き付くのが、いわゆる「祈り」だと思われていたのであります。

 けれども、生長の家の祈りは、神様のおこしらえになった世界には、神は全能であり、全智であり、無限の智慧であり、無限の愛である――その神様が設計せられてお創りになった世界は完全であって「悪いもの」など本来無いのですから、「悪いものを直して下さい」というようには祈らないのであります。

 創世記の第一章には、「神その造りたる諸(すべて)の物を視たまいけるに甚だ善かりき」と、このように書かれているのでありまして、神様御自身が自分の造った一切のものを点検なさいまして、「すべて善し、悪いものは無い」と宣言なさった。それに対して「悪いものがあるから、神様どうぞお慈悲でこれをお直し下さいませ」と頼むというのは、ちょっと矛盾しているではありませんか。

 ですから、生長の家の祈りというものは、そういう「悪いもの」があると認めて、それをなんとか「神様のお慈悲で、善い状態に改善して下さい。」というような祈りではないのであります。「神様のおこしらえになった一切のものは善である」ということを、生命(いのち)の底から宣言する。「命宣(いのり)」というのが「祈り」である。「イノリ」の「イ」は命という意味であります。「ノリ」というのは「宣(の)り」即ち「宣べる」ということでありまして、吾々は命の底深く「すでに完全な姿がある」ということを宣言する。そしてそれを確認するのです。それが本当の祈りであります。そしてその想念を心の想いの世界にそれを確認した時に、それが現れてくるということになるのであります。
<つづく>


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