したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

473復興G:2012/04/20(金) 12:43:01 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(9)

 「言」と「事」とは語源が同じなんです、「言事不二(ごんじふに)」というわけで、「言」の発するところ、必ずそれが「事」として現れるということになるのでありまして、すなわち「言葉は鳴り」「事は成る」のであります。このことをすべての事は、「言(ことば)」すなわち、「想念」が形に現れているというのであります。

 ここにこういう場合がありますが、この湯呑は陶器である。陶器は陶土という粘土みたいな物質を固めてこしらえたので、物質がもとであると考える人があるかも知れませんが、物質が、勝手にスーッと、ここへ出て来て、こんな湯呑の形になったのなら、物質がもとだけれども、この物質をこういう形にならべて、斯くあらしめたのは「陶器師」の心の中に作られた「思い」が、それが形に現れたのでありますから、すなわち、心の中の「思い」というのが言でありまして、その言が形に現れたのですから、これは言が鳴り響いて湯呑の形になっているのであります。

 これは陶器だけではない。全てのものは、みなコトバが因(もと)になって出来ている。だから、湯呑のことを、「これは湯呑なり」という。「これはタオルなり」という。「これは書物なり」という。「なり」というのは「也」であり、「鳴り」であり、「成り」であり、コトバが実現しているという意味であります。

 それを口語体でいいますと、「これは湯呑と言うものである」「これはタオルと言うものである」「これは書物というものである」というのであります。

 「言うもの」とは「言葉によってなり立っている」という意味で、そのことを吾々は無意識のうちに知っておって、そういう言語を使っているのであります。

 一切のものは物質のように見えているけれども、物質で出来ているのではないのでありまして、悉く「心の世界に想い浮かべられた言(ことば)」、言い換えると「想念」が形に現れているのであります。このように一切の物は想念が形に現れたものである。

 世界の革命でも、想念によって行われる。マルクスが『資本論』を書いた。その本の中の想念がロシヤに共産革命を起こし、中国に共産革命を起こした。マルキシズムの想念が、全世界を風靡したならば、全世界に社会主義革命とか、共産主義革命とかいうものが成就する、想念は創造力であり、世界を動かす。

 そういう共産主義革命に対して、もっと完全な理想主義社会建設の想念をもっている吾々の「生命の実相」の想念というものがそれであって、これが、社会主義革命の想念に打ち勝ったら、神の世界にあるところの、独特な理想的な有様が、この世界に実現する、すなわち理想世界が実現するというふうになるわけであります。

   吾々の生命は無限の可能性をもっている

 さて、「七つの光明宣言」の第三ヵ条には次の如く宣言されております。

  吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんが為に生命の創化の法則を研究発表す。

 吾々の生命は神から天降って来た神の生命そのものですから、「無限の可能性」を持っておるのであります。既に「実相」に於いては無限がある。しかし、現象面から見ると、それはまだ完全にあらわれていないので可能性として存在する。そして、ある時間的流れを通して徐々に、その無限内容が生長という姿で展開してくるということになるのであります。

 このことは既に申しましたが、その展開のしかたには、法則があるわけであって、正しい法則に則とらなかったならば、色々と苦労をして、遠廻りに麓をドウドウめぐりして、なかなか早く生長しないということになるのであります。それですから、早く、人類の生命が「無限の可能性」を出来るだけ多く展開して、早く人類が幸福になって貰うように、生命が創化作用を、完全にいとなむ法則を研究して発表するのが生長の家出現の使命だという宣言であります。
<つづく>


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板