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聖典引用 板

471復興G:2012/04/20(金) 12:41:48 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(7)

   常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のこと

 常不軽菩薩という高徳の菩薩があって、彼は「吾常に人を軽(かろ)んぜず」といって、すべての人間を拝んだ。すべての人間のうちには“神の生命(いのち)”“佛の生命”がやどっているのであるから、どんなルンペンでも、どんなヤクザでも、わたくしはすべての人間を軽んじないのである。といって出逢うすべての人間を拝んだ。どんなヤクザでも、どんなルンペンでも皆、

「あなたのうちには佛様の実相が宿っていらっしゃいます。ありがとうございます。将来かならずその佛の実相が現れてくる方に違いございません」といって拝んだ。すると、ヤクザの男が、

「何が俺が佛だ、馬鹿なこというな。」といって石を投げ付けて、菩薩を傷つけようとしたら、常不軽菩薩は、石の届かぬ所へ行って、

「貴男(あなた)が何んとおっしゃいましても、貴男様は佛様に違いございません」と、一心に拝んだ。常不軽菩薩はこうしてすべての人間を礼拝した功徳によって、今、釈迦牟尼如来としてここに現れているのである――と釈尊は自分が常不軽菩薩の生れ変りだといっておられる。そういうように“生れ変り”の説を、お釈迦様も説いておられるのであります。

 さて、お釈迦さんやキリストがこの世の中にでてこられて、人類救済のために真理をお説きになることができたのは、一遍ぐらいの“生れ変り”ではなく、幾百回も幾千回も“生れ変って”いろいろの苦労をなさって修行せられた結果、真理を悟られたのであります。

   釈尊も人生の意義を探ねられた

 お釈迦さんは自分の生れた王宮におれば、非常に贅沢な楽な生活ができたはずなのに、自ら人生問題に悩まれて、王宮から家出されたのです。そして、人間は何のために生きているのであるか、人生の意義はどこにあるかを知りたいとおもって、神経衰弱のようになって、悩んでおられた。そしてとうとう家出してからバラモンの先生について教をきいたけれども、よくわからない。

 それで六年間ウルビルワーという林のなかに這入ってそこで食うや飲まずのきびしい断食に近い生活を送って、痩せさらぼうて「苦しんで、苦しんで、行をしたら真理がわかるであろう」とおもって肉体を苦しめて修行なさったけれども、どうしても真理がわからなかった。それでお釈迦さんはついに苦行をあきらめた。

 そして最後に、「苦行は悟りの因(たね)にあらず。」と悟られまして、いくら肉体を苦しめても悟りの原因にならない。というので、あの「出山(しゅっせん)の釈迦像」にあるように、肋(あばら)の骨がいっぱい飛び出した骨と皮との痩せさらぼうた姿で苦行林からでてこられまして尼連禅河(にっれんぜんがわ)のほとりで坐禅を組んで、「人生何の意義ありや」と瞑想にふけっておられた。

 その時に、ひとりのバラモンの娘が、供養のために、牛乳のおかゆを持って参りまして、「どうぞこれをおあがり下さいませ」といって、釈迦に差出したのです。釈迦はそれをお飲みになったわけです。その時、釈迦は忽然として悟りをひらかれて釈迦牟尼佛となられたのであります。

   釈尊はこのように悟られた

 その悟りというのはなにかというと、「山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)、有情非情同時成道(うじょうひじょうどうじじょうどう)」ということであったのであります。わかり易くいうならば、山も川も、草も木も、国も土も、悉く皆成れる佛である。佛の生命そのものが、天地間の万物として表れているのであるとお悟りになったのであります。
<つづく>


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