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聖典引用 板

470復興G:2012/04/20(金) 12:41:10 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(6)

   朝顔の花にたとえて理念が現象化することを説明する

 よく私は、この真理を説明するのに、朝顔にたとえることがあるのですが、朝顔の種を播いたら、その種の中に、植物の「過去・現在・未来」が既にあるのですが、併しその種の中にある「理念」というものは、現象界の“時間・空間”を超えた世界でありますから、顕微鏡で見ても見えない。顕微鏡は時間空間の縦横厚みの世界のものだけを拡大して見るのだから、種の奥の奥にあるところの縦横厚み以前の、奥にあるところの“朝顔の花”の形というものは顕微鏡で見ても解らないのであります。

 けれどもその種が発芽して段々と蔓(つる)が出てきて、蕾ができて葉が出て花が咲くと、その花は朝顔の花になり朝顔の種が出来る。それはその種の中に既に必ず朝顔の花となり、実を結ぶべき原型があるからであります。

 さっき言いました人間の人相が皆異うのと同じように、朝顔なら朝顔、赤い花の朝顔になる種は、必ず赤い花の朝顔になるべき精神的原型が、その種の中の超次元世界にあって、それが現象界に一駒一駒あらわれて、それが段々生長する姿となり、そして蕾の形に生長し、さらに蕾が大きくなって花咲くという形に生長してくる。これがす.なわち「生命顕現の法則は無限生長なり」ということであります。

 ところがそれが生長して実を結んだら、その朝顔は枯れてしまう。その朝顔が枯れてしまったら、朝顔の生命は終りかと思ったら、終りではないのであって、そこにちゃんと次の年に播かれたら、そこから又同じ朝顔の花の形の出てくる「原型」がそこに種を契機とした超次元界にあるわけです。すなわち朝顔の花の精神的原型――理念なるものがそこにあるわけです。

 だから、現象の朝顔に宿っている朝顔の生命も種の中にある朝顔の生命(いのち)も、それは朝顔の花の形が死ぬとともに死ぬのではない、常に超次元の世界に保存されている訳です。個人内に宿っているところの生命もやはり永遠不滅の生命であって、肉体が死んでも死する訳ではない、また生れ変ってくるのであります。それですから、皆さんの生命は幾度でも生れ変って、それを繰返す毎に無限に生長しているのであります。

   人間は“生れ変り”を続けて魂が無限に生長する

 ヘンリー・フォードとトラインというアメリカの光明思想家の会話の本の中には、こういうことが書いてあります。

 「キリストは三十三歳で死んだけれども、彼は老人である。」

 これはどういう意味かというと、彼は何遍も“生れ変った”のである。そして彼はこの世の中においては三十三歳で死んだけれども、しかしその“生れ変り”の数の多さにおいて年齢を数えるとしたならば非常に老人である。だから、このような立派な真理を説くことができたのである――というような意味のことをいっているのであります。

 佛教においても、この生れ変りということは、繰返し説かれているのであります。たとえば法華経の常不軽菩薩品の中にもでています。
<つづく>


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