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聖典引用 板

469復興G:2012/04/20(金) 12:39:56 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(5)

 ところがそれらの宗教の教がその時代を過ぎて次から次へと伝わっている間に段々と歪んで来る。そしてその一番最初の教祖の発見したところの真理と言うものが埋没されて埃(ほこり)につつまれて、本当の姿を現さなくなっているのが現代の多くの宗教の現状である訳であります。そこでそれらの宗教の神髄を埋めて覆い隠している埃をきれいに払って、「あなたの祖先の宗教の奥にはこう言うような立派な真理があるのですよ」と、こういうように示してあげるのが生長の家の宗教である訳であります。

   “七つの燈台の点燈者”という意味

 それですから生長の家の教は「七つの燈台に燈を点ずる者」と呼ばれている。「燈台」というのは「世を照らす光」即ち宗教の象徴であります。宗教は世を照らす光として、その光を水先案内として人生の航路を歩んで行けば暗礁に乗り上げる事もないし、本当の正しい行くべき港に着くことが出来るのである。

 そういう真理の光が、祖先の時代から宗教という燈台に点(つ)いておったんだけれども、月日がたつにつれて年代を経るにつれて、その燈台の窓硝子が煙霧で曇ってしまって、光を放たぬ様に成ってしまっている。その燈台の窓硝子を綺麗に拭いて輝くようにしてあげるというのが生長の家の宗教であります。それで、今までの“祖先の宗教”+“生長の家”ということにした時に初めて祖先の宗教が光を放って来る訳であります。

 生長の家に触れなかったら埋没されたままで、光を放つことなく、単なる葬式だけを営む宗教になっていた宗教が多かったのでありまして、家族の誰かが死んだ時にお坊さんを呼んで来て拝んでもらうのが何宗という宗教だと云うような、そういう単なる“葬式宗教”になってしまっておった眠れる宗教が生長の家に触れると、光を放って、“祖先の宗教”のまま改宗しないで素晴しい功徳を得ると云う事になるわけであります。

   無限の内容を内に蔵する人間の生命

 さて、吾々の生命は、神の生命が天降って来たものでありますから、私たちの生命の内には無限の内容を持っているのであります。無限の内容、無限の可能性、無限の力、無限の美しさを内部に持っているのであります。けれどもそれが現象界に現れて来るのには、時間的に一定の順序を追って、「段々生長して来る」という形において現れて来るのであります。それが次の“七つの光明宣言”の第二ヵ条であります。

  吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ、個人に宿る生命も不死なりと信ず。

 すなわち、生命が現象界に現れることを「生命顕現」と、ここには表現されているのであります。生命が顕現してくるには一定の法則を通して“無限生長”という姿を持って出て来るわけであります。それはちょうどあの映画の物語の過去・現在・未来が、ひと握りの渦巻形フィルムの中にこういうふうに巻き収められている。(図を黒板に書いて)この中には過去・未来・現在が一握りの中にあるのであります。映画のフィルムは時間・空間を超えた実相の世界のたとえであります。つまり過去・現在・未来がそのまま「超次元」の中に握られている訳であります。

 それが現象世界に現れてくるとき一駒一駒がこういう具合に段々巻きもどされて出てきて、レンズがあって、光がこう来てレンズで屈折して空間的にひろがりを生じて、銀幕にうつるという事になるのであります。フィルムが展開するに従って(図で説明しながら)段々現在が出てきて、それがやがて過去になり、そして未来のひとこまが新らしく出て来て現在となる、というように、時間的流れというものに従って、超次元の世界に本来ある“過去・現在・未来”が悉く順序を通して出て来るというようになるのであります。

 それは丁度種をまいたら、種の中にその植物の「過去・現在・未来」がもうすでにあるわけなのが、それが植物の発芽、若葉、茎の生長、蕾(つぼみ)の出現という風に出て来るようなものであります。
<つづく>


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