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聖典引用 板

468復興G:2012/04/20(金) 12:39:07 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(4)

 皆さんの生命は結局神様から天降って来たところの独特の個性を持ったところの「神の子」なるもの、独特の“精神的原型”(理念)を持って天降ってきたところの“生命”であるということができるのであります。そしてその本源はことごとく神様から天降って来ているのでありますから、それを「神の子」というわけであります。

 ですから人間は、単に“親”と“子”とが、親の男性物質と女性物質とが集まって物質的にただ結合したものでなく、“神の子”なる個性ある霊的内容をもっていて、肉体はその内容なる個性の表現であります。だから同じ親から生れた兄弟姉妹は、唯物論的に考えたら皆同じ血液型でなければならないものが兄弟姉妹皆血液型が違い、又母親とも血液型が違うような姿が出て来るのであります。

 このように皆さんは神様から天降って来た、独特の精神的原型(理念)を持っているところの生命でありますから、その生命を吾々はみな、「神の子」として礼拝するというのであります。

   宗派を超越し万教帰一と称する理由

 さて、この第一ヵ条には、生長の家は宗派を超越すると宣言されているのでありまして、決して一宗一派の宗教ではないのであります。この万教帰一ということは、凡そ数百年もつづいて尚ほろびない宗教には、その滅びない訳がある。

 それは人間を救う真理が、それらの宗教には金線として一本ズーッと通っている、その一本ズーッと通っている真理のみを純粋に押し出したら、万教はすべて一つの真理に帰一するのであって、各々異なる教義の宗教だと見えるのは、その宗教出現の時代の常識や知識の程度に従った夾雑物がまじっているからである。その夾雑物を取り除いて純粋の真理化すれば、みな同一の真理となる――それは恰も世界の何処の金鉱で採取した鉱石も鉱石だけを見れば皆品質がちがうけれども、その夾雑物を取除いて純金にすれば皆同じ“金”になるのと同じだと言うのであります。

 生長の家は創価学会の様に「あらゆる宗教は邪教である。大石寺にある『楠の板』を本尊として拝む日蓮正宗だけが正しいのである」というような「物」を拝む宗教ではないのであります。「物」を拝むと拝物宗教になります。「物」には全然同じ物は世の中に一つもありませんから、自然に他教排斥になるのであります。

   生長の家は民族の文化的遺産を尊敬する

 生長の家は全ての過去の文化的遺産というものを尊敬する。人類の文化的遺産というものは、全て今言いました生命が此の地上に生れて、生み出して来たところのものでありますから、それを尊敬しなければならない。これは生命を尊敬するという根本的な立場から自らそうなって来るのであります。

 そして吾々の祖先――祖先として生れた生命達――が、努力をして築き上げて来たところの全ての文化的遺産に対して尊敬を払って、それを無闇に否定してしまわないのであります。ですから皆さんの祖先が或る宗教を築き上げて、それによって祖先の魂が或る“安心”を得、ある程度まで救われたということは、それは確かに立派なことであって、その築き上げたところの宗教の中には必ず立派な真理が宿っている訳なのであります。すなわちそれには「真理」が宿っている。人間の魂がそれに触れると、喜びを得、安心を得、そして生き甲斐を感ずる様な真理が色々の立派な宗教には必ず宿っているのでありまして、吾々の祖先はそれを信じて来たのであります。
<つづく>


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