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聖典引用 板

465復興G:2012/04/20(金) 12:35:18 ID:ojEbkDH2

<第二回  W E B 誌 友 会>が
●日時:4月28日(土)21:30〜
●テキスト:『生命の實相』第一巻 「七つの光明宣言」
●場所:「部室2」板

にて開催されます。その参考資料として、谷口雅春著作集第4巻 『實相と現象』 より、
『「七つの光明宣言」解義』(p.85〜147)を謹写し、20回に分けて投稿させていただきます。

 私はこの聖典ご文章謹写中に、二度、涙がこみ上げるのを押さえることが出来ませんでした。……
 皆様、ぜひご拝読、心読、霊読、体読くださいませ。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

谷口雅春著作集第4巻『實相と現象』より
『「七つの光明宣言」解義』(1)

   “七つの光明宣言”とは何か

 “七つの光明宣言”というのは生長の家が発祥した最初に、生長の家は何のためにこの世に出現したものであるか、その目的及び理想並びに使命とするところを七ヵ条に分けて宣言したものであります。その“七つの光明宣言”の解説は、『生命の實相』の第一巻の三ページからずーっと載っているのでありますが、あらためて皆さんの前で直接解説する機会を得まして嬉しく思います。先ず冒頭に、

 吾等は宗派を超越し生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんこと期す

 と書いてあるのが第一ヵ条であります。

   生命の起源に就いて

 生命と生命の実相の話につきまして、この人間の“本体”は単なる物質ではないのでありまして“生命”そのものなのであります。しかし唯物論者に言わせますと“生命”というものは、物質がなにか微妙に集まって生命現象というものが出てくるのである――とこういうふうに普通考えられているのであります。

 たとえばソ連のオパーリンという生物学者が、『生命の起源』という本を書いておりますが、それには、最初に何か物質が偶然に集まって、太陽の光を受けて、光合成の化学作用がそこに起って、そして原始的な一種の蛋白質であるアミノ酸というものが出来た。そのアミノ酸というものは生物だけが造るものであって、そういう生物の成分であるものが自然の化合によって起ってくることがあるから、それが生命の起源である。という様な書き方をしているのであります。

 しかしながら、いくらアミノ酸ができても、それは“生命”の起源ではないのであって、それは“生命”が“排泄”したところの一つの物質、あるいは生命が“生産”したところの物質であって、“生命”というものは物質を超えたものであります。

   実験室で人工受精した人間の卵は?

 ある生物学者が、人間の卵を人体の中でなしに実験室で人工受精した。人工受精すると一つの卵が二つになり、二つが四つになり、四つが八つになり、八つが十六になるという具合に分裂して数多く増えて行くのであります。するとその人間の“卵”が“人間”になるかというと“人間”にならなかったのであります。三十二代までは分裂増殖させたのですけれどもそれ以上はできなかったというのであります。

 もっと分裂増殖を重ねて行きまして、その卵細胞が百兆になりましても、その分裂した卵が人間の姿に如何にして適当なる位置に排列せしめられて、この複雑きわまる人体組織となるか、という事が問題になるわけであります。アミノ酸がいくらできても、そのアミノ酸の分子がどのように排列せられて細胞となりその一個一個の細胞が人間の姿に列ぶのにはどうして列ぶかという事が問題なのです。

 物質には“知性”がない。“知性”即ち“心の働”がない。だからどういう形に列(なら)んだら、これが血液を送るポンプ作用をするところの心臓の構造になり得るか。あるいは心臓から出てきている血液を濾過して、本当の良い血液と、尿になるところの老廃物とを分ける腎臓のような装置を、どの様にこしらえたらできるかという事、そのような事は、知性のない考える力のない物質そのものが勝手に集まって造る事によっては決してできないはずであります。
<つづく>


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