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聖典引用 板

464a hope:2012/04/20(金) 09:29:53 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

ケチをつける心は卑怯な心


ところがこの自他一体の観念の少ない人は利己主義になるのでありますが、利己主義になってまいりますと、自分が偉くなるためには人を貶さなければ偉くなれないという気持ちがしてくるのであります。

自分が八十点ならば他を七十点にし、六十点にしなければ自分が偉く感じられない事になって人を嫉妬するようになります。金持ちを見れば癪に触るし、自分より点数の多い学生は憎らしいし、自分より収入の多い社員には腹が立つ。そういう嫉妬を起こす心になると、自分の心が苦しい上に自分が立身出世できないのです。他が八十点なら自分は九十点になろうと努力する人なら偉くなるけれども、そんな気持ちでなしに相手の点数にケチをつけてやろうと思って悪口を言うようになったら、人間はもう駄目であります。

生長の家が他の宗教から一時悪口を言われたのも、やはりこれは、生長の家があまり良いために他の宗教から嫉妬されたのであります。伊藤証信さんなども言っておられましたが、他の宗教が生長の家に反対したりするのは、生長の家が本当に邪教(わるいおしえ)であって、なんの力のないものなら反対しないのであります。本当に邪教なら放っておいても、値打ちのないことが誰にも自然に分かるから反対しないでも潰れてしまうのですから、反対する必要がない。

ところが生長の家の教えは釈迦の教えと同じものである。またキリストの教えと同じ真理を説いている。同じものであるがもう一つ生き生きとして説いているから、このように力のあるものが現れたら、もしかしたら自分の方が負けることになるかも知れぬ、そういう恐怖心から予防のために悪口をおっしゃるのであります。

或る誌友の集会にお坊様が出席して、「生長の家は邪教であるから止めなさい」といろいろ悪口をおっしゃいましたところ、誌友はじっとそれを聞いていましたが、そのうちの一人が立って「ただ今たいへん生長の家の悪口をおっしゃいましたが、生長の家では仏教に対してもキリスト教に対しても少しも悪口を言うのを聞いたことはありません。ただ生長の家はみんなを誉め讃えているばかりですから邪教とは思えません」といいましたので、そのお坊さんは赤面したということであります。

自分をえらく見せるためには人を貶さなければ偉く見えないということでは実にあさましいことであって、争いはそこから起こって来るのであります。生長の家の生き方では決して何物をも貶さない、どなたの悪口も言わないという事が生長の家の生き方になっているのであります。それどころか誰かに対してもその美点を見つけ出して賞めるのであります。

(つづく)


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