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聖典引用 板

453復興G:2012/04/18(水) 21:25:39 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生著『神ひとに語り給う』
  (神示講義 教の巻)より
「万教帰一の神示」ご講義 謹写<3>

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。
 「吾れは智慧である、生命である、宇宙である」と「新天新地の神示」 中に書かれてありますが、宇宙そのものが神様であるわけです。天理教では神様のことを「月日」と書いてをりますが、月は陰であり、日は陽であります。「時間」の方は「生命」をあらはし、生命の本質は発動的でありますから、陽であります。「空間」の方は生命が展開するための「場」となるものでありまして、受ける方でありますから受動的で「陰」であります。「生命」が天降つて来て「場」に展開する、そこに秩序が生じます。これを智慧と言ひます。「生命」と、それを受ける「場」と言ひましたが、「場」そのものも、生命の展開でありますから、本来陰陽一体であり、月日本来一つであります。それで「月日」と書いて神をあらはすといふ訳であります。

 さて其の神は「遍在」する、到る処に神が充満してゐるわけであります。日本神道では、「高天原に神つまります」といふ語で、天津祝詞(あまつのりと)も大祓祝詞(おほはらひのりと)も、始まつてゐるのであります。神道に於て高天原といふのは、↑縦線をもつて高く昇ることを象徴する「高」は時間であり、「原」は横線をもつて広がりを示す空間であります。時間と空間、「高」と「原」とが互に交叉して○(まる)く現れて「天」即ち天球を成してゐるのが「高天原」であります。だから大宇宙のことを神道では「高天原」と言ふ。天津祝詞で「高天原に神詰ります」といふのは、即ち宇宙全体に神様が充満してゐたまふといふ意味でありまして、これが即ち、キリスト教で「神は遍在である」といふところの教へに一致するのであります。神は遍在で、あまねく在(ましま)す、オムニプレゼント(omnipresent)であらせられる。神は何処にでもをられるといふので、「高天原――宇宙全体――に神つまります」と神道でいふのです。

 キリスト教の真理も、神道の真理も同じことであります。クリスチャンが日本神道を評して偶像崇拝だなどと言ふのは間違であります。佛教で尽十方に佛様が充満してゐると説かれてゐるのもやつぱりおんなじ神は遍在だといふ真理であります。それで神示に「本統の神は霊媒には憑(かか)らぬ」とあるのも、霊媒にかかるのは個別霊でありますから普遍的ではない、普遍的根本神は霊媒にはかからぬのであります。だから神示には「われは此処に見よ、彼処(かしこ)に見よといふが如くにはゐないのである」と示されてゐるのであります。何処にでも到るところに、我の内に、すべての人のうちに、宿つてましますのが宇宙の大神であります。
<つづく>


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