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聖典引用 板
444
:
復興G
:2012/04/18(水) 10:22:40 ID:ojEbkDH2
谷口雅春先生著『神ひとに語り給う』
(神示講義 教の巻)より
「新天新地の神示」ご講義 謹写<1>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新たに生れること
誰でも新年といひますと、新たに生れ更つた気持がするのであります。新たに生れるといふ気持がするのでありますが、何時の間にかその新年が古年になつてしまひまして、この年頭の新たに生れるといふ感激を、忘れてしまふ傾きがあるのであります。
それで私達は、この年頭に当りまして深く人間神の子の自覚を、潜在意識の底の底まで植ゑつけて、そして一年中神の子の自覚を失はない様に深く真理を刻みつけて置きたいと思ふのでありまして、それで毎年年頭に、恒例として講習会をやつてゐるのであります。
さて、宗教とは一体何であるか、といふ話をしたいと思ふのであります。宗教といふものは病気を治すものだと思つてゐる人も中にはある。それですから、もう医者にかかつても薬の力でも治らないときに、“新興宗教へでも行かうか”と思つてやつて来る人もあるのですけれども、宗教といふものは、所謂る「病気」といふ「肉体の病ひ」を治すものではないのであります。
宗教の本質は何であるか
宗教といふものは一体何でありますかといふと、先づ、自分とは如何なるものか、それを明かにする所の教へが宗教であります。ソクラテスは、汝自らを知れと言つたのでありますが、汝自らを知るといふ事が宗教であります。或ひは、新たに生れるといふのも、それも汝自らを知る、といふ事にほかならないのであります。今迄は人間は肉体の子であると思つてゐた。そして物質の塊がここに生れてきてゐるのが人間であると、かう思つてゐたのでありますが、「人間といふものは、さういふ物質の塊ではないのだ」といふ事を自覚して、人聞自らは如何なるものであるかといふ人間の実相を知る事が宗教である訳です。
人間自らは如何なるものであるか。キリストはお父さんがなかつたのですね。大工ヨセフといふのは名目上父としてありましたけれども、聖母マリアは、そのヨセフとの許婚の間に、まだ結婚しないのに妊娠して生れたといふのですから、キリストは幼い時から「自分のお父さんは誰であるか」といふ事に思ひ悩んだに違ひないのであります。それで遂にイエスは自分の父は、天に在します神である、といふ事を自覚して、自分は「神の子である」といふ事を言ったのであります。これがキリスト教といふ宗教の基であります。かういふやうに宗教といふものは汝自らを知る、といふ事なのであります。
お釈迦さんも、生れると直ぐ七歩あるいて、といふのは七といふ数は完成の数ですから、自覚を完成してといふ意味でありますが、一方の手は天を指し、一方の手は地を指して、“天上天下唯我独尊”と言つたんです。これが佛教の肇(はじめ)である。
天上天下唯我独尊といふことは――宇宙で自分が一番勝(すぐ)れた所のものである。言ひ換へると自分は“神の子”であるといふ事です。「人間神の子であつて、素晴しい存在だ、肉体から生れたものではない」といふ自覚を得られたといふ訳なんです。尤もこれは象徴物語りであつて、いくらお釈迦さんでも、オギャーと生れるなり歩き出して、そして天を指し地を指して「天上天下唯我独尊」といふ訳にはゆかないと思ひますけれども、これは七歩あるくといふことは、七は完成の数でありまして、自覚を完成したら、人間は天上天下唯我独尊だ、ただ我れ一人尊し、我は神の子であり、最もすぐれたる存在であり、自分は宇宙の中心だといふ事がわかつたといふのであります。
<つづく>
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