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聖典引用 板

443復興G:2012/04/18(水) 10:05:14 ID:ojEbkDH2

合掌 ありがとうございます。

WEB誌友会、「部室」板で論議されました「新天新地の神示」およびそのご講義を、谷口雅春先生著『神ひとに語り給う』より謹写させていただきます。ご講義はとても長いので(60ページにわたっています)、「七つの燈台の点燈者」および「イスラエルの十二の分派(わかれ)」に関するところを抽出して投稿させていただきます。原文は正漢字使用ですが、新漢字に換えさせていただきます。(仮名遣いは歴史的仮名遣いのまま)

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   新天新地の神示

 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。人々よ、眼の蔽ひをとれ、われは新しき智慧である。新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。われ臨(きた)つて此の世界は既に変貌したのである。既に信ずる者の暗黒は消え、醜悪(しゅうお)は滅し、病ひは癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである。悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。汝の悲しみは喜びに変るであらう。病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。われを信ぜざる者は已むを得ぬ。われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。われ汝等に『神想観』と言ふ観行を教へたればそれを為せ。われに汲むものは常に新しき力に涸れないであらう。吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。なんぢ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思へ。なんぢら二人ならば、吾れを念じて吾れと倶に三人なりと思へ。悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであらう。信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けやうがないのである。汝の心の疑ひがわが心の波長に合はないからである。遠くにゐて救はれてゐる者もあるが、近くにゐても救はれぬ人もある。仕方のないことであるが不憫である。もつと兄弟たちに、『生長の家』を伝へよ。神の愛は貰ひ切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へで新しき生命を得るのだ。わが教へはどんな教へをも排斥するやうな狭い宗教ではない。教への太宗(もと)であるから宗教と言ふのである。
 (昭和六年五月六日神示)
<つづく>


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