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聖典引用 板

427さくら(ひらがな):2012/04/17(火) 07:57:05 ID:tPVxKQcE
おはようございます!
朝が来ると、どんなときにもどんな人にも、同じように朝が来るってすごいな〜、
と、時々しみじみ感激するさくらです、

日本の言葉の発生と、外国の言葉の発生はおなじように自然発生的とありますが、
西洋的ロゴスの世界観と、言霊の世界観はまったくちがいますね・・、
ことばを考えると、奥が深すぎる。



『ヨハネ伝』講義           
                      谷口雅春著

 それで、万物は一切この言葉によって展開したのであって、こ
の言葉が大切なのであります。それで吾々が病人に対して「お前
はもう病気でない、神の子である」ということを言葉で言えば、
それは本当に力ある言葉であれば病人が治るということにもなる
のであります。そうかと思うと。あべこべに、「お前は罪人であ
るぞ、いくら善くなろうと思うても善くなれない凡夫である」と
云うようなことを云ったら、やはりその言葉の力によって、いくら
善くなろうと思うても、善くなれないと云う風なことになるわけで
あります。このように言葉は命であり、神であり、命令であり、天
地に満つる道であると云うことになるのであります。
 この天地に満つる言葉が、「神光あれと言いたまいければ光あり
き。」(『創世記』第一章)とあるのも、最初にこの「阿」の声が出
て来たことをあらわしております。「阿」の声、これは光輝く声で
あります。「光」の声と云うのは大日如来の本体であります。

(註)大日経疏第七に「阿字は是れ一切法教の本なり。凡そ最初に口を開く阿の声あり若し阿の声を離るれば即ち一切の言説なし。故に衆声の母とす」とあり、此の「阿」の声はまた菩提心即ち「ほとけの心」であります。大日如来経疏第十四「阿字は菩提心なり」とあり、同第十には「阿は是れ空の義の本不生を以っての故に虚に同じ」とあります。

「本不生」と云うのは本来不生不滅の本体の意味でありますから、
「阿字を大日如来の法体である」と云うのであります。真言密教では
「阿字観」と云う修行をする。要するに本来不生の宇宙の本体であ
る大日如来と自分と一体であると云う『神想観』のような修行をす
るのであります。(谷口清超との共著『苦難と恐怖の克服法』参照)
 この「阿」と云う言は現れるという意味をもっていまして、現れ
る、明るい、赤い、暁・・・・等、光のアラワレル意味をもった語が
此の「ア」と云う発音で始っていることに注意して頂きたいのであり
ます。これは自然発生の言葉であります。そのほかの言葉にも、「ァ」
の付いた言葉には「頭」であるとか「足」であるとか色々あります。
_頭と云うのはどういう意味であるかと言うと、真丸く玉のように現
れている、あらわれてたまのようであるから「頭」なんです。そうす
ると「足」というのは、あらわれて「した」にある。それで「アシ」と
云うのであります。それから、暴れる、荒狂う、荒魂、これらは外に
現れるという意味から、自然とそう云う言葉が出て来たのであって、
これは仮名文字審議会を開いて決めた言葉ではないのであります。自
然と天地創造のコトバと、人間の中に宿るコトバ(命)とが一体であ
るから、人間が、事物を見ると、その事物の本質にあたるコトバを自
然に出す。それが通用語になったのであります。
 そう云う工合になっているのが我々の使っている言葉であります。
「ア」はどう云う意味の語、「イ」はどう云う意味の語と云うように、
五十音にわたって説明したいのですが、今は時間が足りませんから、
これは詳しくは『真理』の青年篇に書いてあるからご覧ねがいます。
外国の言葉でも最初はそう云う工合に自然発生の言葉から次第に転化
して来たのでありますけれども、私は余り深く外国語に精通しており
ませんから申し上げぬことに致しまして、『ヨハネ伝』の次のパラグラム
の処に参ります。


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