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聖典引用 板
420
:
SAKURA
:2012/04/16(月) 11:49:29 ID:GrjKQGvA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…ロ−マ字の【SAKURA】です。
今月【 4月…御釈迦様が誕生されました月!! 】です〜〜〜ネ!
二千五百余年の間、国を越え〜民族を越えて保ち続けられました【仏の真髄…】
幸せな事に【仏教典…】以前からの続きですが“投稿”させて頂きます事に…
深く感謝申し上げます…。
【はじめの第1章…】からで〜〜〜〜〜す! (■仏教典からの抜粋)
■第1章 史上の仏
−−−【 第1節 偉大な生涯 】−−−
6.これより太子は仏陀、無上覚者、如来、釈迦牟尼、釈尊、世尊の種々の名で
知られるようになった。
釈尊はまず、六年にわたる苦行間ともに修行してくれた恩義のある五人の出家者に道を
説こうとして、彼らの住むバ−ラ−ナシ−のムリガダ−バ(鹿野苑)に赴き、彼らを
教化した。彼らは最初釈尊を避けようとしたが、教えを聞いてから彼を信じ最初の弟子と
なった。また、ラ−ジャグリハ(王舎城)に入ってビンビザ−ラ王を教化し、ここを
教えを説く根拠地として、さかんに教えを広めた。
人びとは、ちょうど渇いた者が水を求めるように、飢えた者が食を求めるように、
釈尊のもとに寄り集まった。シャ−リプトラ、マウドガルヤ−ヤナ(目連)の二大弟子を
はじめとする、二千余人の弟子たちは、釈尊を仰ぎ、釈尊に帰依した。
釈尊の出家を憂えてこれを止めようとし、また釈尊の出家によって
深い苦しみを味わった父のシュッド−ダナ王
養母のマハ−プラジャ−パティ−、妃のヤショ−ダラ−をはじめとする釈尊族の人たちも、
みな釈尊に帰依して弟子となった。
その他非常に多くの人びとが彼の信奉者になった。
7.このようにして伝道の旅を続けること四十五年、釈尊は八十歳を迎えた。
ラ−ジャグリハ(王舎城)からシュラ−ヴァスティ−(舎衛城)に赴く途中、
ヴァイシャ−リ−に於いて病を得、「三月の後に涅槃に入るであろう」と予言された。
さらに進んでパ−バ−に至り、鍛冶屋のチュンダの供養した食物にあたって病が悪化し、
痛みを押してクシナガラに入った。
釈尊は城外のシャ−ラ(沙羅)樹の林に行き、シャ−ラの大木が二本並び立っている間に
横たわった。釈尊は、懇ろに弟子たちを教戒し最後のせつなまで教えを説いて世間の大導師たる仏としての仕事をなし終わり、静かに涅槃に入った。
8.クシナガラの人びとは、釈尊が涅槃に入られたのを悲しみ嘆き、ア−ナンダ(阿難)の
指示に従って、定められたとおり釈尊の遺骸を火葬した。
このとき、マガダ国の王アジャ−タシャトルをはじめとするハ大国の王は、みな釈尊の
遺骨の分配を乞うたが、クシナガラの人びとはこれを拒否し、争いが起った。
しかし、賢者ドロ−ナの計らいにより、遺骨はハ大国に分配された。
その他、遺骸の瓶と火葬の灰を受けた者があり、それぞれの国に奉安されて、
この世に仏の十の大塔が建立されるに至った。
<つづく>
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