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聖典引用 板

414金木犀:2012/04/15(日) 23:49:20 ID:zilIu2tA
『神真理を告げ給う』から
「第五章 泥中にあって既に咲く蓮華」より、一部抜粋

人間の肉体がどんなに健康であっても、やがて死ぬものであるというのは、“肉体”というものが“人間”そのものでないからなのである。人間は“神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、神が不死不滅であるように人間も亦、不死不滅である。“人間”そ’の’も’の’は時に応じ、必要に応じ、修行のためや、訓練のために、さまざまの境涯に於いて、さまざまの姿をあらわすけれども、結局、その本体は不死であるのだ。



肉体は人間ではないと言うのは、肉体というものは、“人間”なる“神の子”が地球という天体の上で空気の気圧に抵抗して、使命づけられた仕事を果たすために必要な内圧をもつようにつくられた一種の“宇宙服”又は“作業服”が肉体なのであるからである。肉体の実質は物質でできているように見えているけれども、それは五官には、そう感じられるだけで、肉体の実質は物質ではない。それは嘗て「“心の絃(いと)”を組み合せて肉体の繭を造り」と譬えをもって示しておいた通り念絃の弾奏する“生命の韻(ひびき)”が、五官の感覚に触れるとき翻訳されて“物質”として感じられるのである。物質と見えるものは、悉くあるアイディアを載せた“生命の韻(ひびき)”が、“五官の感覚”という“認識の形式”を通過するときに“物質”として変貌して見えるのであって、その実質は「念絃の弾奏」する“生命の韻(ひびき)”にほかならないのである。

つづく


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