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聖典引用 板

412ハマナス:2012/04/15(日) 20:00:42 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
 
こんばんは。
昨日は仕事から帰ってバタンキュ―、パソコンをつけっ放しで寝てしまい聖典引用を
お休みしました。
今朝早く起きて、びっくり!! WEB誌友会の皆様の活発なご意見を拝見致しました。
素晴らしいですね。
トキ様を始め、司会、司会補佐役、ご参加の皆様お疲れ様でした。
色々と学ばせて頂きました。ありがとうございます。

今日は教区の用事で出掛けていました。

   信念は継続せねばならない  (『新版 生活の智慧365章』P.127)

 祈りの成就に対して必要なことは、「必ず成就する」「既に受けたり」と云う深い信念が
必要であると同時に、その信念が“一時的”のものではなく、「成就」が現象化するまで、
すこしも変わらずにその信念を永続しなければならないのである。祈りの時間の十数分間だけ、
「既に成就しました、有難うございます」と念じても、その祈った事物が現象化しつつある
途中の時間に於て、「まだあの事は出て来ないがな。駄目かな」などと考えては、「既に
成就しました」と前(さき)に念じた事をみずから打ち消しているようなものである。
従って前(さき)に折角祈ったことが実現しないのも無理がないのである。

 一旦、或る事柄の成就を祈ったならば、それが成就するまでは「すでに成就している
光景」を常に心に描きつづけて、その反対の「不安の念」を一切起こさぬようにするが
よいのである。無論、他の仕事をしている最中に、そんな「光景」を現在意識の念に
描きつづけることはできないが、「必ず成る」と云う深い「期待の念」を崩さずにさえ
いるならば、潜在意識は、前(さき)に祈った時の「必ず成る」と云う念を持続している
のだから差支えないのである。暇があるときに其の問題に就いて思い出したならば、
「ありがとうございます」と神に感謝の言葉を心に唱えて、「既にそれを受けたり」と云う
感銘を深めるようにするがよいのである。

感謝合掌


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