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聖典引用 板

409金木犀:2012/04/15(日) 15:30:26 ID:zilIu2tA
『神真理を告げ給う』から
第四章 地上に於ける人間生活の意義  を謹写致します。

あなた達にとって、何より大切なことは肉体の健康でもなければ、物質的な富の豊富ということでもないのである。あなた達、人間にとって最高必須のものは、あなた達自身の生命の本源にさかのぼって“本当の自分”を知り、その“本当の自分”が“神”そのものであり、“わたし”があなたに宿っているのであり、“わたし”はあなたの肉体という媒体を通して自己顕現しつつあるのだということを自覚することなのである。

天地一切のものは“わたし”のいろいろの段階に於ける自己顕現であるけれども、それらは無意識的の自己顕現であるから、彼らみずからは“わたし”の自己顕現であることを知らないのである。それは単なる顕現されたものであり、受け身的あらわれであるから、彼らは単なる被造物に過ぎないのである。けれども、あなた達は異(ちが)うのである。決して単なる被造物ではないのである。



あなた達・人間は単なる被造物ではないというのは、あなた達・人間は“わたし”自身の意識的な自己顕現として、あなた達の内に宿るところの“神”を意識して此の世に出現しているのだからである。人間の生命が他の生物よりも、一層尊いというのは、その生命が“わたし”自身の“意識的顕現”であり、人体は、わたし自身の“意識的顕現”の“座”であるからである。

肉体の生命も尊重しなければならないというのは、ひとりの肉体の生命がなくなれば“わたし”自身の意識的顕現の“座”がひとつ無くなるからである。



“わたし”の意識的顕現としての“生命”は、あなた達人間の肉体生命を、地上顕現の“座”として、そこの天降って来たのである。人間の肉体生命が尊ばれなければならないのは、それが単なる“人間の肉体”ではなく、神の生命の意識的自己顕現の“座”であるからである。

胎児の肉体生命といえども、それは出産後の人間の肉体生命と同じく“わたし”の意識的自己顕現の“座”として予定されたるものであるから、その尊さは同じことなのである。出産後の“人間生命”は殺してはならないが、胎児の“人間生命”は殺すことは“殺生”ではないなどと考えるのは間違いである。人間は物質的な損得の価値判断で考えたがるので、胎児を殺すのは経済的に安くつくから“殺してしまえ”。そして胎児を殺せば大人の生活が楽になるから、その方がよいなどと勝手気儘な評価をするけれども、神から見れば、“神の意識的自己顕現の座”が破壊されるのだから、その罪悪は大人の肉体を殺すのと同罪なのである。


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