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聖典引用 板
400
:
「訊け」管理人(1/3)
:2012/04/13(金) 19:23:48 ID:???
(榎本恵吾記念館・文書館(2)より謹写)
1.天地一切のものは、すでに和解し調和している
神は天地宇宙を創造し給いながら、そのいずくにも記念碑のようなものはたてられていないのであります。神を否定しようとすればいくらでも否定出来るように、全く姿を消してい給うのであります。「神など無い」という人さえも生み給い、その声も神が出させているのでありながら神はご自分を現わしていたまわないのであります。「神は無い」と強く言えば言うほど「それほどまでに姿を消していられる神はまことにも偉大であるかな」と思わしめられるのであります。
尊師谷口雅春先生の著わされた『生命の實相』も、これと同じ姿をしているのであります。萬物を生かし輝かせながら、「自分が救ってやった」というものは少しも無いのであります。「自性(じしょう・そのままで)円満」なる神の子の姿をただただ祝福し、礼拝する、その拝みの姿としてあるのであります。『生命の實相』の中には「物質無し」と書かれているのであります。「物質無し」とは、本自身が「私は無いのです」と無我になって澄み切っているのであります。無我になっているとは、天地一切のものを神仏として拝んでいることであります。ここに「汝ら天地一切のものと和解せよ」ということ、そして和解するとは感謝するということであるということの、その感謝の内容が示されているのであります。本自身が天地一切のものを拝んでおり、感謝と祝福の輝きそのものなのであります。
(つづく)
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