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聖典引用 板
394
:
役行者
:2012/04/13(金) 15:51:03 ID:qBxVkqJs
さくら様
合掌
私は個人的に、ヨハネ伝解釈は大切なことが記されていると思ってます。
この聖書の解釈法を世に、特にキリスト圏に知らしめることは、大業であり、それこそ、表層的解釈でなく、日本的な深層的解釈を世に、特に西洋に知らし召す、絶好のチャンスと思っております。
>太初に言り、言は神と偕にあり、言は神なりき この言は太初に神とともに在り、万の 物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之 によらで成りたるはなし。之に生命あ り、この生命は人の光なりき。光は暗黒に照る 。而して暗黒は之を悟らざりき(第一章一〜五節)<
このコトバは太初に神とともにあり!です。
弁証法的には闇は光のために存在し、やがて光が世を隅々まで照らし、光明燦然と輝いたら、そのとき、闇の使命は終わるのでしょう。
>光は暗黒に照る 。而して暗黒は之を悟らざりき<
ということでしょう。闇は悟ることのできないサダメなのでしょう。
現象世界で繰り広げられている闇の言葉は、あくまでも光の非在に過ぎず、光の言葉があまねく地球を覆ったら・・・
現象的に地球に始めがあった以上、終わりが来ます。
その現象的な ディ エンド は、きっと光あまねく世界の到来!千年王国の到来をしての、歓喜あふれる世界の到来をしての ディ エンドでありましょう、
また、そのときからが、本当の始まりなのかもしれません。
合 掌
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