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聖典引用 板

379復興G:2012/04/12(木) 22:04:31 ID:ojEbkDH2
<つづき>
     「新天新地の神示」講義(2)

 これはヨハネといふキリストの弟子の中で、一番靈感の秀れた弟子が、キリストが磔(はりつ)けになりましてから、ローマ帝國の迫害を受けて、パトモス島といふ小アジアの小島へ流されて居つたときに神に祈つて居りましたら、靈感的に、眼は瞑(つぶ)つてをつても眼の前に七つの燈臺の有様が見えて、白髪の老翁の姿がその間に歩みたまふのが見えたといふのであります。その白髪の老翁は一我はα(アルファ)でありω(オメガ)であり――始めであり終りであり、生と死との鍵をもてり」と宣言したまうたことによつて「宇宙の根元の神」であるといふことが明かであります。その神様が出て來られたので、ヨハネはその威嚴にうたれて、そこに平伏(ひれふ)してしまった。そして「死したるものの如くなれり」と聖書には書かれてゐます。単に土下座したといふくらゐのものではないのであって、地面に平伏してしまつて、もう再び起き上る事は出來ないといふ様な状態になつた。そのとき“吾はアルファなりオメガなり、最先なり最後なり、生と死との鍵をもてり”とかう言はれた。この神様が、生長の家の神様であつて「七つの燈臺に燈を點ずる者」でありたまふのであります。キリスト教的に言へば「久遠のキリスト」であります。肉体のキリストは三十三歳で死んだけれども、「本當のキリスト」は、久遠不滅であらせられるのです。『生命の實相』の中には眞理と書いて、「キリスト」とフリ假名をつけてある箇處が所々にあるのであります。「キリスト」といふと、三十三歳でハリツケになつたユダヤ人の男の事だと、かう思つてゐる人もありますけれども、あれはキリストの應現身であつて、肉体的に或る時代に適するように應じて現れた姿であつて、「本當のキリスト」は「眞理」そのものであり、始めなく終りなく宇宙に充ちてゐる所の眞理そのものである訳なのです。その眞理そのものは久遠不滅であるから、初めであり終りであり、永遠に不滅である、といふので白髪の老翁の長壽の姿をもつて人格化して出て來られてゐる――かういふ事になつてゐる訳であります。
<つづく>


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